気づきの伝道師 藤井一規です。
伝統的なものには型があったりします。
型どおりにすることには意味がありますが、
型を守ることが重要なのではありません。
しばらく考えていきます。
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「構えあって構えなし」
by 宮本武蔵(剣術家、兵法家、芸術家)
剣術の道を究めた宮本武蔵は、
刀の構えはあれど、構えはないと言った。
矛盾しているようなこの言葉だけれど、
深い意味を持っている。
いったいどういうことなのか、
もうしばらく考えていく。
<構えようとすると>
刀を構えるのは、相手を切ろうとしているときだ。
刀を構えようとして構えるのではなく、
相手を切ろうとして構える。
構えはあるが、それは構えることを目的にしてはいない。
相手を切る上で、適したことをすることが第一義ということだ。
構えなければならないと考えてしまうと、
そのためにエネルギーを使うことになってしまう。
相手が構えようとしているな、とわかるということは、
相手の動きが読めるということになる。
その間、他の動きがしにくい、ということでもある。
<構えようとすると硬くなる>
何かが襲ってくるとわかると、
守ろうと構えるだろう。
相手が強大であればあるほど、
守りに入ろうとすると、必死になり硬くなりがち。
硬くなれば、動きにくくなってしまう。
臨機応変、状況を冷静に見極めて素早く動くためには、
力の抜けた状態であるほうがいい。
こう構えるべし、という構えではなく、
最も自然な状態、自然体であるほうがよかったりする。
自然体の準備ができれば、より自由になれる。
<感覚を開く>
自然体の準備とは、
自分の感覚を開き、起きていることを敏感に感じ取れる状態だ、
こうしてくれようとか、何とか抵抗しようとしているときは、
余計なチカラや、無理がどこかにかかっていて、
本来の能力の発揮を妨げてしまっていたりする。
人は何気なく動いたほうが、
思わぬチカラが発揮できたりすることが判ってきた。
武芸や、武術の達人は、この領域を極めている。
<美しき所作>
美しい身のこなしや、美しい所作も
構えようとしたり、手順を考えながらやっているうちはできない。
出来るようになったときは、
その場に溶け込むような感覚になっていたりする。
触れるものを大切に扱う気持ちや、
丁寧さや緩急が自然に伴っていたりする。
達人の動きは美しいと言われるが、
武術などではなくとも、日常の何気ない所作が美しい人がいたりする。
すこしでもその領域に近づきたいものだ。