気づきの伝道師 藤井一規です。
明治維新を思うとき、山岡鉄舟の存在は大きい。
武士が終わる時代に、武士道精神のすばらしさを持っていた。
徳川慶喜に仕え、主君の命を守った立役者としても知られ、
また敵対した側であるはずの明治天皇の教育係に抜擢された。
彼の言葉から、
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「自然は教師なり、自然を眺めて学び、自然に即して考える」
by 山岡鉄舟(幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家)
私たちは自然でありたいと思いながらも、
その難しさに直面している。
自然であるためには、何が必要なのだろう?
もうしばらく考えていく。
<山岡鉄舟>
徳川慶喜が、明治維新の際に命を落とさずに済んだのは、
慶喜に仕える一介の武士のはずの山岡鉄舟が、維新軍のトップ、
西郷隆盛と直談判に成功し、認められたからだ。
天璋院はじめ、数々の有力者が嘆願しても実現しなかった
慶喜の助命、徳川家の継続は
西郷隆盛が、自分の過去を見るような鉄舟に、
心を動かされたという説が有力だ。
武芸の達人であった山岡鉄舟は、
自然であることの大切さが身に染みていた。
<臨機応変>
慶喜の助命嘆願に、鉄舟が向かうと知った勝海舟は、
まともに行っても、会うことすら敵わないような状態の西郷隆盛に
どのように会うつもりか?と聞いたそう。
鉄舟は「臨機応変」とだけ答えた。
あれこれと策を巡らすことをせず、
ただ自然に即して行動する。
それを聞いて、勝海舟は果たせるかもしれないと感じたという。
実際、多くの兵に守られている西郷の場所まで、
「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」
と声を上げて、堂々と進んだと言われる。
武器を持った多くの兵の中、敵側の使者がたった一人でまさかの中央突破。
最も自然でありながら、考えてみればあり得ない事態に、
慌てて追いかけるものはいても、
正面に立って止める兵は誰ひとりとしていなかったという。
<自然>
人は自然なものに対して、無力になってしまったりする。
こうしてくれよう、ああしてくれようという策を立てていても、
あるがままの相手には、対抗できなかったりする。
武術を究めていくと、自然であることが最強であることにたどり着く。
武術だけでなく、人は自然であることが一番合っている。
私たちは、何事も頭で知ろうとしがちだけれど、
頭で理解したことだけでは不足があるし、無理が生まれてくる。
あれこれ考えて出てきた自然と、
自然の中に身をゆだねてみて、感じたり気付いた自然とは違っている。
<自然を感じ、ものにする>
私たちは、もっと自然を感じることに時間を使ってもいい。
思考を巡らすよりも、見えるもの、聞こえるもの、感じるものを
ただただ受け留めていく。
いろいろな自然の中での体験を深めていく。
そうしていくうちに、何が自然なのかがわかってくる。
思考や情報にまみれ、がんじがらめになった自分が解放されていく。
マインドフルネスなどの瞑想も、そのひとつに当たるだろう。
きっと最強の自分を手にいれて入れていく道に近づくことができる。