気づきの伝道師 藤井一規です。
人はどんな話を信じるだろうか?
どうせなら、自分がする話は信じてもらえるようにしたいもの。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「嘘をついても人は信じる。ただし権威をもって語ること」
by アントン・チェーホフ(ロシアの劇作家、小説家)
もちろん、嘘をついてもいい、という話ではない。
元は英語で、
Although you may tell lies, people will believe you, if only you speak with authority
一般的には表記しているように “Authority”は、「権威」と訳されているが、
権威に相当するほどの「重みをもって」
という意味のほうが当たっているかもしれない。
どういうことなのか、もうしばらく考えていく。
<話を信用してもらえるとき>
私たちが誰かの言うことを信じるとき、
それが本当か嘘か、いつもいつも検証して確める、というわけにはいかない。
だから、なんらかの信じようという気持ちを
起こさせるものがあるから信じていく。
たとえば、話している相手を信用しているから、
その人の言うことを信じる、という傾向が起きる。
話の内容より、話している人を重視するのだ。
あなたが嫌ったり、疑っている人が言うのとは、
扱い方が全く違ってくる。
もちろん、あなたが信用している人でも、論理的に明らかにおかしいような場合は、
信じるのは難しいかもしれない。
ある程度、論理的に正しかったり、これまでのことと
一貫性があったりすることが、話の信ぴょう性を高めていく。
また、権限をもっているひとだったり、その道の権威を持っている人が言うことであれば、
たとえ嘘があっても、信じてしまったりする。
医者が病院で白衣を着て、まじめな顔をして病気の話をすれば、
患者はそのまま信じる可能性が高い。
専門家としての権威が、信ぴょう性を高めているのだ。
<重み>
そして、これらに加えて、あなたの話に、
あなたがリアルに体験したと感じられるほど、
具体的であったり、感情が込められていたりして、
その言葉に重みが感じられたりするとき、
あなたの話に信ぴょう性が生まれてくる。
自分が辛い体験をしたのに、
まるで他人事のように話をしていたら、
違和感が生まれてきたりする。
一致感がある話、重みのある話には
高い信頼性が感じられるもの。
<満足感>
自分の話を信頼してもらえたり、
誰かの共感を得ることができるということは、
「自分を認められた」という満足感を伴う。
そうした話し方をできるようになることは、
人生を充実させていくうえで、
実は重要なことなのだ。
これからの人生において、考えていく価値はきっとある。