気づきの伝道師 藤井一規です。
あなたは何を信じていますか?
信じることができていると、それを支えにしっかりすることができたりします。
疑いを持った状態では、ブレてしまったり、
不安を抱えることになったりします。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「信じるものは強く、疑いを抱くものは弱い。強い信念があって始めて、偉大な行動がなされる」
by ルイーザ・メイ・オルコット(米の小説家)
強く信じるものがあるとき、
私たちは強くなることができる。
疑念を抱えていると、不信感を拭い去ることができず、
思い切って行動できなかったりする。
もうしばらく、掘り下げていく。
<よりどころ>
人生にはこれが正解、それ以外は不正解、
のように答えは一つには決まらない。
人の数だけ正解があり、
そのとき、そのときの状態によって答えも違ってきたりする。
だから、何が今の自分にとって正解なのかを判断する基準をもっておきたい。
信じるというと、宗教的なイメージがあるかもしれない。
確かに宗教もまた、ひとつの信じるチカラを生み出すもの。
何か問題にぶつかったとき、
悩みに苦しんだりするとき、
信じるものをもっていると、それが救いになったりする。
何をして、何をしないかを判断する基準にもなったりする。
しかし、宗教だけに限らず、自分が大切だと信じるところを持つことは
望ましく生きていくうえでの基準を持つことになる。
<不安と疑念>
もし、自分が信じていることに疑念がある状態だと、
それまで自信をもって判断できていたことが
本当にそれでよいのか?不安になったりする。
ひょっとしたら間違っているかもと考えてしまうと、
安定した状態ではいられなくなるのだ。
もし、大掛かりなことをしようとしているなら、
疑念を持っていたら、大胆に行動することができなくなる。
これでいい!と言い切ることができなくなる。
こうした不安を抱えていると、周りの人たちにもそれは伝わっていく。
ついていこうという気持ちが持てなくなってしまう。
<信じる>
もちろん、自分が信じているものが
本当に信じるに値するものなのかどうかは、
ときに冷静になって考えてみる必要がある。
ほとんどの場合、自分が信じているものは
自分が知り得ただけの、わずかな情報をもとにしているからだ。
しかし、何かを成そうとするならば、信じるものがある人のほうが
達成の可能性ははるかに高くなる。
たとえ完璧なものでなくても、
信じるものに基づいた、目指す旗を明確に立てていれば、
そこを目指すことはしやすくなる。
こうかもしれない、いや違うかもしれないと、
目指す旗の位置がふらふらと決まらずにいたら、
その旗の場所へ向かうことは困難だ。
あるとき、旗の位置が間違っていたと、修正することがあってもいい。
きちんとした理由のもとに、変更することがあってもいい。
今現在の目標をまっすぐ目指すことができるように、
信じるところを持ち合わせていきたいものだ。