気づきの伝道師 藤井一規です。
今できることは今すべきだ!といわれ、
そのほうがいいよなと思ったりしますが、
つい先延ばしにしてしまうことってあるものです。
「明日できることは今日するな」
なんて言われると、それもそうだよなって思ったりします。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「今日できることを明日に延ばすな」
by ベンジャミン・フランクリン(米の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者)
「明日できることは今日するな」
とは正反対の「ような」この言葉。
林修さんの、「今でしょ!」にも通ずる考え方、
どのように捉えていけばいいのか、
もうしばらく、掘り下げていく。
<できるだけたくさん?>
単純に考えてみると、
同じ月日を生きることができると考えたら、
今日できるだけたくさんのことをしたほうが、
人生においてよりたくさんのことをすることができる。
これは明らかなことだ。
しかし、たくさんの量の何かをする事が、
本当に望ましいことなのか?
と言うと別かもしれない。
心身を削って何かを生み出しているのだとしたら、
いくらまだ今日という時間があるとしても、
回復する時間を持たずに続けることは望ましいとは思えない。
<今したほうが良いこと>
今した方が良いことって何だろう?
緊急性のある事を今する、ということは理解しやすい。
しかし、それよりも、重要で時間が必要なことのほうを大切にしたい。
重要でしなくてはならないとわかっていることを
時間があるにもかかわらず、単に先に延ばしているのだとしたら、
それは時間がある今、やっておいた方がいい。
特に、どのレベルのモノを生み出せばよいのか、はっきりしないものは、
ある程度の形を早い段階でつくってみたほうがいい。
やってみたら思いのほか時間がかかったり、
満足いくものにするために、より工夫をする必要があるとわかったり、
このままでは目的とすることが達成できないとわかって、
新たに取り組む必要に気づいたりする。
手にいれたいこと、達成したいことがあるときには、
時間があるなら今、手を付けたほうがいい。
<明日のほうがいいこと>
明日のことを今日やらずに、明日やったほうがいいこともある。
例えばこの掲載は、毎日ひとつずつ作ることにしている。
以前、旅行の時などのために、まとめて下書きを作ったこともあるのだが、
まとめて作った後、何日かして再び作り始めることが大変だった。
それに、過去に作ったものを今日になって掲載したり、送ろうとするとき、
どうにも消せない違和感があった。
毎日することなら、その日はその日の分だけに絞ることや、
毎日の習慣として保ったほうがフィットしたのだ。
明日分の歯磨きを今日することはできなかった。
<今日何をするか>
今日何をするかは、自分が決められる。
時間があるからと言って、様々全てのことをしようとする必要はなさそうだ。
ただ、私たちはときに、今の感情や感覚、周りの雰囲気に押し流されて、
自分の成し遂げたいことがあって、かけられる時間があるにもかかわらず、
先送りにしてしまうことがある。
計画通りにきっちり達成することが目的ではないが、
成し遂げたいことに向かって、
進むための準備や布石を、できる時間があるのに無駄にすることは避けたい。
成し遂げたいことをするには大変さがあるかもしれないが、
大いなる喜びのためなのだから。