気づきの伝道師 藤井一規です。
あの人って、こういう人だよね。
こうしたレッテル付けは日常でも良く行われていたりします。
レッテル付けによって、何が起きるのでしょう?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「もしもあなたが私にレッテルをはるなら、それは私の存在を否定することになる」
by セーレン・キルケゴール(デンマークの哲学者、宗教思想家)
私たちは直接会話していない誰かのことについて
ああだ、こうだと話すことが多い。
こうしたうわさ話がなにをもたらしているのか、
もうしばらく、掘り下げていく。
<レッテル付け>
あの人ってまじめだよね~。
あの人、恐いよね~。
意外と器用なんだよね~。
友達との会話の中で、誰かのうわさ話をするのが好きな人は多い。
誰かのことを評価し、相手からも共感を受けることで、
満足感を得られたりする効果がある。
特に不満を抱えている人ほど、誰かの否定的な評価を加える傾向が高くなるのは、
自分の評価が共感されたときの満足感で、不満が打ち消されるような感覚になるためだ。
しかし、ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、
レッテル付けは相手への決めつけを生んでいく。
<決めつけ>
こうした決めつけは、当人に関係ないところでおこわなれ、
当人には関係なくうわさ話として飛び回っていたりする。
事実はひとつでも、その意図ないろいろな解釈がなされる可能性がある。
すると、その人の真意とは関係なく、レッテルに近い解釈のほうが信じられやすく、
悲しい誤解のもとになったりする。
また、残念なことに、事実として本人が失敗したことがあったとしても、
そこにやむを得ない事情があるかどうかも確かめないうちに、
「あの人はダメだ」的なレッテルを貼ってしまうことがある。
それに、人は努力したり、成長したりできるもの。
いくら最初の評価が正しかったとしても、
その評価が未来も正しいとは限らない。
レッテルづけは、
すべての事情を知らない状態で、誰かが独断で行われていることや
人は努力し、成長していくことを無視して行われていることに気づいたほうがよさそうだ。
<人を大切に>
人を大切にしていこうとするとき、
ネガティブなレッテル付けは邪魔にしかならない。
付けるならば、当人が
自分の未来や可能性を拡げると感じられるものとして認められるものが良い。
モチベーションにつながることもあるからだ。
しかし、それもときには重荷になったり、
時とともに合わなくなってしまったりする。
人を大切にしようと考えるとき、
その人へのレッテル付けだけで終わらせているとしたら、
考え直したほうがいい。