気づきの伝道師 藤井一規です。
信頼は大切なものです。
しっかりした信念を持った人のほうが信頼を得られることは
想像しやすいことですが、
意固地になっているってこともあるかもしれません。
しばらく掘り下げていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/20182/
コンタクト先
https://www.facebook.com/kazunori.fujii.167
この記事の目次
「信頼と信念、この二つは考慮すべき最も重要なものだ。君は決して意固地になってはいけない」
by ジェームズ・ディーン(米の俳優)
信念とは、自分が正しいと信じる考えのことだ。
信念は、あくまで自分が信じることであって、
普遍的に正しいこととは言えなかったりするが、
何かきっかけがないと変わらなかったりする。
同じようなものに意固地があるが、この二つはどう違うのだろう?
もうしばらく、掘り下げていく。
<信念の誕生>
未熟な状態で生まれてくる私たちは、
より快適に生きるための知恵を身につけながら成長していく。
そのために効率の良い考えが信念として保存されていく。
信念には勘違いからくる思い込みもあったりするが、
守ることを多くの人たちが賛同するものもある。
約束は守るものだ
という信念を大切にしている人は、
した約束は何とかして守ろうとする。
それは、約束した相手にとって信用や信頼を気づく基になったりする。
<意固地と信念>
意固地と言われるものも、信念に含まれると考えることができる。
意固地になっていることも、自分が正しいと信じていることであることは間違いない。
しかし、ときには非合理的であろうとも頑なに守ろうとしたりする。
私は以前、基本出されたものは食べきらなくてはならないという信念を持っていた。
ところが、アメリカでとあるレストランに行ったとき、
この信念には無理があり、変えたほうがいいことを思い知らされた。
目の前にした、山盛りの超まずい料理を食べきることはできなかった。
もし、その状況でも、信念に従って食べきろうとしていたとしtら
信念を貫こうとしているというよりは、もはや意地、
意固地という方が当たっている。
いくら約束を守ることが大事だと言っても、
頑なに信念を守ろうとするがゆえに、払う犠牲が大きすぎるなら、
立ち止まる価値がある。
<誠実であれ>
信念を持つこと、信念を守ろうとすることは大事なことだけれど、
それを守ろうとするがゆえに、多くを失ってもいいのか?
意固地といわれるほどに不合理なことになっていないか?
冷静になるチカラも必要なのだ。
どこで、どうすればいいのか、明確な答えはないのだけれど、
自分は誠実であると自信をもって言えるかどうかが、
ポイントになってきそうだ。
誠実に対応したのであれば、
受け容れてもらえる可能性が高い。