気づきの伝道師 藤井一規です。
芸術家であれば、何か新しいものを生み出そうと考えることでしょう。
芸術家でなくとも、何か自分ならではものを遺したいと思っていたりします。
しばらく掘り下げていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/20230/
コンタクト先
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「私は何も発明しない。再発見するだけだ」
by オーギュスト・ロダン(仏の彫刻家)
ロダンは素晴らしいと評価される作品をたくさん生み出した。
しかし、彼の意識の中では、新しいものを発明したわけではなく、
既にそこにあったものを再発見し、わかりやすく形にしただけ、
という意識があった。
もうしばらく、掘り下げていく。
<再発見>
誰しも何かの役に立つものであったり、
人の感覚や、心に訴えるものを遺したいと望んでいる。
遺したいものは、なんらか、人のもつ根源的なものにつながっている。
例えば、美しいと感じる基準は、時代や環境によって異なるかもしれないけれど、
美しいという感覚は、人類の誕生したときから、
ひょっとしたらもっと以前から存在し続けている。
美しいという感覚を呼び覚ますものは、ずっとあり、
それを発見することをしていると言えるかもしれない。
何か全く新しいモノを発明したというわけではない。
<手法は変わる>
ただ、実現する手段は、変わっていくかもしれない。
しかし、それも無から有を生み出すようなモノとは違っている。
現在の最先端科学も、自然の中からヒントを得ていると言っていい。
自然をもとに工夫したり、
複数のものを組み合わせたり、
あるところで使われていることを、別のことに使ってみたりして
発明だとしていると言えそうだ。
自然が生み出したものを科学のチカラでは作れなかったり、
自然が起こしていることを、どうすることもできないってケースは山ほどある。
<宇宙の一部>
私たちはこの宇宙の一部。
そのなかでは、この宇宙を超えることはできない。
宇宙がもたらしている自然とともに生き、
その中で生きていく。
ひょっとしたら、この宇宙の外に飛び出していく
可能性もあるかもしれないが、
今はこの宇宙の中で、すでにあるものを
役に立てやすいように再発見していけばいい。
ロダンは、発明と考えるのはおこがましいと感じていたのかもしれない。
自然とともに、今のこの宇宙とともに発見の旅を楽しめばいい。