気づきの伝道師 藤井一規です。
学んだことを自分のモノにするために、
どんなことを意識していますか?
何かを身につけるために必要なことについて、
しばらく掘り下げていきます。
<ブログリンク>
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コンタクト先
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「すべて学び、そして忘れろ」
by マイルス・デイヴィス(米のジャズトランペット奏者)
私たちは誰しも多くのことを学びますが、
同じように学んでいても、どうも身についていく人と、
そうでない人とに分かれる。
どこに違いがあるのだろう?
もうしばらく、掘り下げていく。
<新しい学びは異物>
学ぶことは新しい知識だったり、
新しい動作であったり、身体の使い方であったりする。
新しいモノは、慣れ親しんだ従来とは別の、
ある種、異物だと捉えることができる。
例えばお茶の稽古をしていると、今までとは違う、新しいお点前をすることになったりする。
すると、今まで練習したり、順序を覚えてやっとできるようになったはずのお点前と、
新しいお点前が混ざってしまったりする。
ちょっとした混乱を経験する。
前進してきたはずの技術が
後戻りしたような感覚になったりする。
<定着への道>
どんなことでも、初めは基礎基本をじっくり繰り返す方が良いと言われる。
つい、すぐに先に進みたくなるものだが、却ってうまくいかなかったりする。
ちょうど、土台が危ういところにビルを建てるようなものだ。
基礎基本が叩き込まれていると、思い出そうとしなくても
基礎基本のことができる。
手順を記憶していても、
頭で記憶したことは意外ともろく、崩れやすかったりする。
ちょっと状況が変わると、どうだったか、わからなくなったりする。
スポーツにおいても、基本の構え、足運びなどを徹底するという。
そうしておくと、いちいちそのことを想い出そうとしなくても身体が動いてくれる。
頭の中の記憶に頼っていると、
パニックになったら思い出すことは困難になるだろう。
<定着の方法>
定着させるには、まずはひたすら繰り返すことだ。
また、誰かがやっているのをじっくり見ることも大切だ。
自分のことはわからなくても、人がやっていることは細かく認識出来たりする。
見て習う。という言葉があるが、
自分だけでやっていては気づけないことがある。
上手な人を見れば、学びになるし、
学びの途中の人や、なかなかできない人を見れば、
何が足りていないのかに気づけたりする。
自分でやり、見て改善していくのが速い。
しかし意外と、自分がやるときは一所懸命だが、
人がしているときにしっかり見ていない人が多いもの。
そして、身体に学びが定着すれば、
脳の記憶に頼る必要がなくなり、もっと大事なことに意識を向けることができるようになる。
忘れろとは、学んだことを、意識せずに発揮できる状態になりなさいということだ。
物事、単に手順さえ正しければよい、ということはほとんどない。
手順ではカバーできていないグレードアップが必ずある。
何のためにしているのか?
何を大切にしようとしているのか?
そのためには何が必要なのか?
のほうが遥かに深みを与えてくれるのだ。