気づきの伝道師 藤井一規です。
歴史上、古くは戦いは、何と言っても兵士の数が大きな要素を占めていました。
しかし、それをひっくり返すような戦いもあります。
その一つが織田信長と今川義元とが戦った桶狭間の戦いです。
何が起きていたのか、
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「臆病者の目には、敵は常に大軍に見える」
by 織田信長(武将、戦国大名)
大軍で押し寄せた今川義元を、
10分の1の兵力で立ち向かわなければならなかった織田信長。
しかし、兵士の数だけが勝敗を決めるのではないと知っていた信長は、
今川義元を打ち破っていく。
どのようにしていったのか?
もうしばらく掘り下げていく。
<兵力の比較>
戦国時代で戦闘能力は、何と言っても兵士の数がモノを言っていた。
我が味方の人数をいかに多くするかに苦心してきた。
だから桶狭間の戦いでは、今川義元には油断があった。
2万5千人の自軍に対し、織田側はその10分の1以下の2千人ほどしかいかなったからだ。
まともにぶつかりあえば、
あっという間にひねりつぶすことができるような人数差だった。
当時の通常の考え方をすれば、抵抗するのは無謀ともと言える状態だった。
確かに、10人が1人を取り囲むようなもの。
今川軍としたら、負けるという気がしない。
<臆病な想像>
私たちには想像力がある。
マイナスな出来事を想像すれば、際限なく悪い状態を思い浮かべることができる。
戦いに敗れるということは、傷つき、死を迎えるという恐怖も伴う。
信長は、もし、臆病になっていると、たとえ少人数でも
目の前の敵はとても恐ろしく思え、大軍がいるのと同じだと知っていた。
だから相手を臆病な状態に追い込むことができれば、
兵力は少なくても勝つ可能性がある。
自分たちが相手よりはるかに有利な状況にあっても、
臆病な状態に追い込み恐怖に取りつかれてしまったら、
冷静さを取り戻すのは容易ではない。
<桶狭間の戦い>
今川義元は10分の1以下の兵力の織田側に対し、
完全に油断していた。
織田側は今川軍が、桶狭間という谷で、
細長く伸びた状態で休んでいるという情報をつかんでいた。
おりしも豪雨が降っていたとか、ヒョウが降っていたともいわれ、
今川軍は織田軍の侵攻に気づくのが遅れたともいわれる。
どれほど兵力があっても、周囲は味方しかないと油断しているときに
いきなり敵兵に切りかかられたとしたら、
恐怖を感じ、混乱し、臆病な状態になってしまう。
臆病な状態では、目の前の敵は大軍も同じだ。
さらに、織田軍は、細長く伸びている大軍のうち
今川義元がいる辺りだけに集中的に攻撃を加え、人数差の効果を減らしてもいた。
こうして今川義元は敗走することになる。
いかに自分の状態を良好に保つか、という課題は
人生の上で重要なポイントになってくる。