気づきの伝道師 藤井一規です。
人間関係を崩すものの大きな要因のひとつは、
「わがまま」のようです。
人たらしとして知られる豊臣秀吉は、
不和の原因は、「わがまま」だと明確に言っています。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ」
by 豊臣秀吉(武将・関白・太閤)
人間関係を崩す代表格なものが「わがまま」だ。
しかし、かわいい「わがまま」も存在し、
むしろこちらのほうは、歓迎されたりする。
どんな違いがあるのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<人間関係の破綻>
人と人との関係は、相手があって成立する。
どちらか一方だけが満足し、
他方が得るものがないようなとき、
関係の破綻が始ったりする。
一方だけが得をし、相手の損失になるものの代表が
「わがまま」というやつだ。
「人たらし」として有名であった豊臣秀吉は、
人の心理をよく知っていた。
相手をその気にさせる天才的な才能が有ったと言われている。
<許される「わがまま」嫌われる「わがまま」>
どうも、許される「わがまま」も存在する。
「わがまま」が却って関係を深くすることもある。
かわいい「わがまま」には応えてあげたいと思ってしまったりする。
では、その境目はどこにあるのだろう?
嫌われる「わがまま」の代表は、
相手を強制したり、束縛しようとするものだ。
責めたり、「~しないで」という禁止事項も含まれる。
思わず、私はあなたの奴隷ではない!と言いたくなってしまったりする。
次に、お金を使わせようとするわがままだ。
たとえ何とかしてあげたいと思ったとしても、
お金さえあれば手に入るようなことばかりを求めているとしたら、
私である必要はなく、財布と付き合えばよいことだと感じてしまう。
また、何かをしてもらって当然だと考えているとしか思えないタイプもある。
Noと言える余地のあるお願い、ではなく、
「それくらい言わなくてもわかってよね!」というものだ。
たとえ召使でも主人の心の中まで読むのは難しいのに
要求が通らないのはありえない、と思い込んでいたりする。
<かわいい「わがまま」>
かわいい「わがまま」、叶えたいと思うような「わがまま」
とはどんなものだろう?
私の得意なことを「お願い」されるのは気分が良かったりする。
いろいろなパターンがあるが、
一緒にいて欲しい、という「お願い」はうれしかったりする。
束縛にならない程度のやきもちも好印象になる。
誰もが自分に価値があると感じたり、
役に立っていると思えることは気分の良いものだ。
しかも、それは義務や命令に基づくものではなく、
Noと言える余地がある「お願い」であれば受け入れやすくなる。
相手に対する敬意をもったものが望ましいようだ。
かわいい「わがまま」と嫌われる「わがまま」との違いを知り、
「わがまま」上手になるのも賢い生き方かもしれない。