気づきの伝道師 藤井一規です。
才能を持っていても、活かすことができなければ開花しない。
活かすためにはどうしていけば良いのでしょうか?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「学ぶことで才能は開花する。志がなければ、学問の完成はない」
by 諸葛孔明(中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家、軍人)
多くの人々が人類の財産を築いていきた。
それを学ぶことで、さらにその先に進むことができる。
しかし、ときに技術は使い道によっては、悪用されてしまうこともあった。
諸葛孔明が言おうとしたことについて、
もうしばらく掘り下げていく。
<学び>
私たちの周りには、多くの情報がある。
たくさんの先人たちが残してくれた遺産がある。
いかに才能がある人であっても、自分一人だけでできることには限界がある。
これまでの人類が経験してきた財産が有るから、
その先に行くことができる。
ただ、学ぼうという意欲を持っていなければ、
いままでの財産を充分に活かすことはできない。
その財産に気づかなければ、その先に進むことができない。
せっかく持っている才能を十分生かすためには、
先人たちが残した宝を活かしたほうがいい。
<使い方次第>
科学技術、学問の発展は、ときに金銭や権力を持つものによって
歪まされてきた。
科学技術は何に使うかによって、
世の中を豊かにもするが、悪魔の仕業を為すこともできる。
武器に利用できる科学技術は、戦争に利用されたりしてきた。
知っての通り、核爆弾は今でもチカラを持つ国の象徴として考えられており、
社会を揺るがすものになっている。
学問が欲のために、あるいは欲を持った者のために
歪んだ結果を生み出してしまうことがある。
<志>
諸葛孔明は、私利私欲のために知識や知恵を使うことはなかった。
今回の新型コロナウィルス COVID-19についても、早くから細菌兵器ではないか?
という疑問を投げかける人がいた。
それが本当かどうかは問題ではなく、
原子爆弾を生み出したように細菌兵器という発想があり、
なんらかの研究が世界で行われていたりするからそういう話が出てくる。
学びが、世界を人類を救うものではなく、
滅ぼそう、相手を脅そうという目的で使われるとき、
そこに人としての志はない。
志がなければ学問の完成はないと言ったこの言葉は、
大きな重みをもってくる。