気づきの伝道師 藤井一規です。
どんな悪人であろうとも、素敵な心を持っていたりします。
人として、愛すべきところがあるものです。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「だれもが心に良い知らせのかけらをもっています。
それは、自分がどんなに素晴らしい存在になるのか、まだ気づいていないということ!どれほど深く愛せるのか!何を成し遂げるのか!自分の可能性とは何かを!」
by アンネ・フランク(「アンネの日記」著者、ユダヤ系ドイツ人)
自分にとって憎むべき相手だとしても、
その人の中には素敵なところがあったりする。
私たちの目に触れるところ、体験するところだけがその人の全てではなかったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<敵対者>
自分と対立する相手だったり、
好きになれない相手っていたりする。
ズルをしたり、誰かを痛めつけたり、
許せない!と思ってしまうような人がいたりする。
酷いことをされて、恨んでも恨みきれない、そんな相手がいる人もいる。
しかし、そんな最悪と思われるような相手にも、
素敵な心があったりする。
例えば、どんなひどい奴であっても、その子どもたちに対しては、
親としてのすばらしい愛情を注いでいたりする。
<素敵な面はだれにでも>
そう、たまたまひどい面に出くわしているだけで、
実は素敵な面を持っていたりする。
大事なものを守ろうと必死なあまりに、
やりすぎてしまっている人もいる。
会うたびにとても嫌な奴で、人間的に否定すべきだと思っていたら、
その人が大切にしている人に対しては素晴らしかったりする。
誰もがそんな面があったりする。
<素敵な面を活かす>
そんな素敵な面をもっと拡げたら、
素晴らしい存在に至ることができるかもしれない。
今は違っても、可能性をもっているということだ。
敵対しているから、自分の思うとおりにならないから、
過去に嫌なことをされたから、といった理由で、
その人を切り捨てたり、無視することもできるが、
その人の良いところを活かす余地があったりする。
簡単に許す気持ちにはなれないかもしれないが、
可能性に目を向けて対応していくことも重要なことだ。