気づきの伝道師 藤井一規です。
映画で想像上の生き物が登場するとき、
その生き物が何かの象徴になっているようです。
スピルバーグの言葉ををもとに
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「『E.T.』は、僕の両親の離婚をテーマに話を書こうとして始まったんだ」
by スティーヴン・スピルバーグ(米の映画監督)
SF映画として知られる「E.T.」
宇宙からやってきた知的生命体が、主人公の少年と友達になる、有名なストーリー。
このE.T.は、スピルバーグの両親の離婚に大きな関係があるのだという。
もうしばらく掘り下げていく。
<E.T.は何者か>
そういえば、スピルバーグの初期の作品、「未知との遭遇」にも
「E.T.」にも、家族を残して離れていく父親が描かれている。
両親の離婚にともなって父を失ったスピルバーグ。
父親が悪者として描かれつつも、
彼が宇宙に魅かれ、強いあこがれを抱くようになったのは、
父に連れられて行った深夜の草原で、浴びるような流星群を見た経験からだったそう。
父への愛やあこがれと、当時抱えていた、父は自分を捨てていったという思いとが交錯していた。
(後年、離婚は母側が原因で、父は母をかばっていたことが判ったそうだ)
彼は、こう言っている。(父と母が別れた後、)
僕の願い事リストには、僕にはいなかった兄や弟と、
もういなくなってしまった父親の両方を兼ねた友達が一人欲しい、
というのが入っていた。それがE.T.なのだと。
<E.T.の存在>
そうして捉えてみると、
E.T.は他の誰とも違う。
自分だけの大切な友達であり、
社会の常識では一緒に居られない相手。
秘密を分け合い、ともに挑戦する。
父親のように護ってくれ、新たな冒険へ導いてくれたりする。
しかし、永遠に傍にいるというわけにはいかず、
どこかへ去っていかなくてはならない。
E.T.と指先を合わせて、思いを通じる場面があるが、
しっかりハグして抱き合うのではなく、
指先という、ちょっとだけのつながりなのが、
会うことができない父親と、小さなころ思い出だけでつながっていることを
象徴しているかもしれない。
<想像してみる>
夢見ること、想像することが大好きだった少年は、
地球外生命体という形で、そばにいてほしかった存在を表現した。
彼ほどの想像力がなくても。ストーリー展開力がなくても
自分にとって、いて欲しい存在のことを
想像してみるのもいいかもしれない。
ひょっとしたら、E.T.よりも素敵なストーリーになるかもしれない。