気づきの伝道師 藤井一規です。
性格はどのように形作られているのでしょう?
生まれつき?それとも生まれた後?
生まれた後からだとしたら、自分一人で作り出すもの?それとも誰かとの関りから?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「人はあらゆるものを孤独の中で獲得することができるが、性格は別である」
by スタンダール(フランスの小説家)
性格は孤独な状態では獲得できないとスタンダールは言う。
しかし、生まれつきという面もあるような気がするし、
人との関りが影響するところと、そうでないところとがあるような気がする。
もうしばらく掘り下げていく。
<性格の形成>
どのようにして性格が形成されるのか?については、
多くの研究がなされている。
どうやら遺伝的な要素と、後天的な要素とがあり、
両方が相まって形成されている、という考え方が主流となっている。
先天的な、持って生まれた気質のようなものと、
生まれてきてからの経験を通して培ってきたもので成り立っているというわけだ。
後天的なところは、実際の経験を通して身につけてくるもの。
自分の中で、これは快適というものを好み
不快というものを避ける。
一人だけで生み出されるとすると、先天的な気質が
快・不快の判断に影響を及ぼすことになる。
しかし、私たちは自分自身だけの快・不快だけでなく、
自分の親をはじめ、周りの人たちの快・不快を
自分のものとしてとらえる。
人との関りの中で、後天的な要素は形成されていく。
<性格は変えられるか?>
ここまでの考え方からすると、生まれ持ってきた遺伝子は変えられないし、
生まれてから今日までに経験してきた事実を変えることはできないのだから、
性格は変えられないのでは?と考えるかもしれない。
確かに遺伝子を変えるのは困難だと言える。
それに、経験してきた事実は事実だ。
しかし、遺伝子が同じでも、後天的な要素が相まっているとなれば、
後天的な要素が影響を与えるはずだ。
後天的な部分についても、事実よりも、その事実をどう受け止めるか
のほうが遥かに影響があるはずだ。
なぜなら同じ一つの事実がどうかよりも、
それが自分にとってどんな意味があるのか?
という捉え方のほうが、重要だからだ。
事実の捉え方なら、過去のことであっても変えることができる。
となると、性格には変える余地があることになる。
<判断の変化>
また、先日、ヒトは生き残っていくために、
味覚の判断を関わる周りの人たちの判断によって
変えてきたと書いた。
苦いから食べない から、周りの仲間が美味しい!
といって食べていることで、苦くて美味しい! になっていく。
苦いものでも食べられるということは、
生き残っていく上で、食糧の選択の幅が広がるからだ。
これは味覚についてだが、
先天的で変えられないと思われる味覚ですら、
関わる人によって、その判断が変わっていくのだ。
他のことならなおさらと言えそうだ。
<事実の捉え方から>
また事実を捉えるときに、わたしたちは気づかないうちに
決めつけをしてしまっていることがある。
「私、やる気のない性格なんです」
という人と会ったことがあるけれど、
実は興味のあることなら熱心に取り組んだりする。
やる気がない性格だ、と言うことによって
都合の悪いときに言い訳したり、
もっとできるのに、自らを止めてしまっていたりする。
やる気が出てきていないことに気付いたら、
そういう性格だから。で扉を閉じてしまわないで、
どうすればやる気が出るのだろう?
と考えることで、違いを生み出すことができるかもしれない。
こうしたことは、今からでもしていけることだ。
<望ましい未来>
私たち人間は、誰かとの関係なしには生きていけない。
たとえ無人島で一人でいたとしても、
今まで係わってきた人たちのことが記憶にあり、
想像に浮かび、日々の行動にも影響を与えている。
人は自分一人だけが幸せな状況にあるよりも、
周りの皆が幸せなほうが、より幸せを感じられる。
だから、周りの人たちの反応が、私たちの行動傾向に影響を与えている。
褒められたり、喜ばれることによって、同じことにより積極的に取り組もうとしたりする。
人格形成はお互いに影響を及ぼしあっている。
望ましい自分になろうとすることは、また返ってもくるのだ。
素敵な仲間を持つこと、そうでなくても自ら望ましくあろうとしていきたい。