気づきの伝道師 藤井一規です。
何か問題が起きたとき、真実を明らかにすることは
とても重要なことです。
しかし、ときに見つけ方、解決の仕方を
間違えてしまったりするようです。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「深刻になることは必ずしも、真実に近づくこと…ではない」
by 村上春樹(作家)
大きな問題に取り組もうとするとき、
私たちは深刻になりがちだ。
問題が大きければ大きいほど、だ。
しかし、深刻になると
私たちは考え方に柔軟さを失ってしまいがち。
では、どうしていけば良いのか。
もうしばらく掘り下げていく。
<追い詰められると>
重大な問題や、深刻な問題が起きると、
誰しもなんとかしようとするもの。
ところが、どれだけ深刻になっても、
答えがなかなか見つからないことがある。
いや、却って深刻になればなるほど、答えが見つかりにくくなったりする。
深刻な状態を身体で表現してみる。
身体が縮んでいたりする。
背中が丸くなって、下を向いていたりする。
眉間にしわが寄っているかもしれない。
息もしにくくなっている。
深刻になることは、悩みの状態になることなのだ。
悩んでしまうと、考え方の自由度は失われ、
同じところを巡ってしまったりする。
<深刻より真剣に>
問題を真面目に捉えることはいいけれど、
深刻になることは避けたほうが良さそうだ。
真面目になるのなら、深刻にではなく、真剣になったほうがいい。
真剣に何をするかを考え、行動するほうがいい。
下を向くより、前を向いていたほうがいい。
物事を重大に捉えることは、悪いことではないが、
暗く捉えてしまう必要ない。
暗い状態では、そこに何があるのかを見逃してしまいがち。
それよりは、対象に光を当て、
そこに何があるかを明らかにしたほうがいい。
<解決に向けて>
どうしたらいいか、すぐにはわからないことってある。
あれこれ試してみないとわからないこともある。
ただ、深刻になって身動きが取れない状態でいるよりも、
解決しようと真剣に考え、何かをやってみたほうがいい。
視野を広くしてみると、
実はたいした問題ではなかった、なんてことがわかるときもある。
まずは深呼吸して、視線を上げてみたい。