気づきの伝道師 藤井一規です。
今や欲しい情報は、すぐに手にいれることができたりします。
しかし、単に情報を知っている、ということと
その情報を自分のモノにする、ということとの間には
ものすごいギャップがあります。
では、どうすれば自分のモノにできるのでしょうか?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「英知は受け売りでは身に付くものではない。自分自身で発見するものである」
by マルセル・プルースト(小説家、批評家、エッセイスト)
今ほど情報が溢れている時代はない。
欲しい情報は、調べようとすれば
誰でも手にいれることができるようになった。
しかし、インスタントに答えが見つかるようになったばかりに
肝心のことに気づかないままになっていたりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<英知>
茶道に親しんでいると、
茶碗師と呼ばれる、楽茶碗をつくっている楽家のことを知る。
楽家はなんと代々、作り方を一切次代に教えないのだという、
年に一度だけ、次世代に当主が作っているところを見せるだけなのだそう。
茶碗を焼くときには一緒に焼くことになるが、
茶碗づくりにおいては一つも教えないというのだ。
代々の作品に触れながら、
何を目指していくのか、何が望ましいのか、
自分自身で試行錯誤しながら、
見つけていくことになるのだ。
また、年に一度だけの当主が作る様子を見る機会に真剣に取り組み、
余すところなく吸収しようとする。
<答えを与えられると>
もし、最初から茶碗をこう作るのがいい、
という情報を与えられたとしたら、
たしかにあれこれと試行錯誤する段階を省略ことができ、
効率は良いかもしれない。
人間の文明は、先人たちが見つけてきた答えをもとに進歩してきた。
しかし、答えだと思っているものは、
実は大いなる思い込みかもしれない。
これが答えだ、と与えられることによって、
それ以外のことを考えることをやめてしまう可能性が高い。
それは、可能性を狭めてしまっているかもしれない。
また、答えを与えられることに慣れていると、
答えが与えられないと、何もしない、
というマインドセットになってしまうかもしれない。
<理解できるのは、自分のレベル次第>
ものすごく素晴らしいことができる人がいるとする。
同じように見る機会があったとしても、
見る人によって気づくことが変わってくる。
何を意識しているかにもよるけれど、
自分でやったことがない人と、経験がある人とでは、
気づくことが全く違ってくる。
人は、自分との違いを意識できるからだ。
だから、その人がすでに到達しているレベルによって、
気づけることが変わってくる。
自分がモノにしていることがあるから、違いに気づくことができたりする。
自分で自分なりの答えを見つけ、
さらなる高みを目指せるようにしていきたい。