気づきの伝道師 藤井一規です。
刑務所は、その国を表すと言われたりします。
罪を犯した人をどう扱うかは、基本的に人の存在を
どうとらえているかが表れてくると考えられるからです。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「こんな言葉がある。刑務所に入らずして、その国家を真に理解することはできない。国家は、どのように上流階級の市民を扱うかではなく、どのように下流階級を扱うかで判断されるべきだ」
by ネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国の政治家、弁護士、ノーベル平和賞)
人をどのように考えているかは、
最も貢献する人への扱い方ではなく、
底辺に属する人への取り扱い方に表れてくる。
もうしばらく掘り下げていく。
<会社のありよう>
会社だとすると、ときに特殊な物差しが許されていたりする。
ある程度以上の成果を出せない人は、別のところにより適性があると考え、
別の道を選んだらどうか?と示されたりする。
トレーニングの機会や、別の職場への異動のチャンスを
用意してくれる会社もあるが、
会社によっては、いきなり三下り半を下されてしまうこともあったりする。
国によってもその傾向は違ったりするが、
日本であっても、多くの会社で取り入れられた成果主義は、
冷たい物差しとなりうる典型だったりする。
人を活かす方法が不十分であっても許容されているかもしれない。
<国家としては>
会社とは違って、国家としては
国に対して成果が出ていないからと言って三下り半、
というわけにはいかない。
それこそ、人を活かすことを真剣に考えなくてはならない。
国がすべてを取り仕切ろうとすれば限界があるが、
どのような仕組みにするかは、真剣に検討されるべきだ。
日本では、**保護、**補助金という名前でお金を与える方法ばかりが目立つ。
職業訓練というプログラムもあるが、残念ながら魅力に欠けると言わざるを得ない。
しかし、もっと人を活かす方法はあるはずだ。
<人を活かすこと>
時代の変化は激しくなり、新型コロナウィルスのような
社会構造を揺るがすような事態がやってきている今こそ、
人をどう活かしていくかを
考える機会といえるかもしれない。
国の仕組みをすぐに変えることはできないかもしれないが、
自分を活かすための取り組みは、変えることができる。