気づきの伝道師 藤井一規です。
公正であることは大事なことです。
しかしながら、大事だからと言って、
公正であることから離れることができないとすると、
融通が利かない、ということになったりします。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「私は厳格な公正よりも情けの方がより豊かな果実を実らせるといつも感じている」
by エイブラハム・リンカーン (米国の第16代大統領)
ルールを適用するなら、公正であるほうがいい。
しかしながら、杓子定規に公正さこだわりすぎると
できることもできなくなってしまったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<公正さ>
公正であることは、しっかりした透明性のあるルールに基づいていることだ。
もし、人によって判定基準がバラバラだったり、
気分で判断がブレてしまっているとしたら、
信頼を得ることができなくなってしまうだろう。
お役所仕事が融通が利かないと言われるのは、
ある意味公正だと言えるかもしれない。
しかし、ルールや判断基準が複雑怪奇であったり、
利用しようとするときに煩雑すぎてしまっていたりして、
公正であるために多くの無駄なエネルギーが消費されることが多い。
<スピード感>
今回の新型コロナウィルスへの対応で、
残念ながら日本の対応の遅さが目立ってしまっている。
この緊急事態において、対応スピードの遅さは致命的になる。
企業であれば、期日までに不渡り手形を出してしまえば倒産待ったなし。
支援が得られるのか、得られないのか、
得られるならいつ得られるのか
全くわからないような対応になってしまうと、
不安だけが膨らんだり、信頼を得ることができなくなっていく。
安心感、安全感のほうが、公正、公平、平等であることよりも優先なのだ。
後から調整することを明示しておけばいい。
<変革>
今回の新型コロナウィルスは、
よくも悪くも従来の世界中のシステムを大きく変革することを迫っている。
何を大切にするかという、信念や価値観の転換点ともなっていきそうだ。
なんとなく今まで続けてきた仕組みや、やり方、判断基準も
大きく見直す機会になりそうだ。
そしてそれは、本当に大切なものを見極めるチャンスでもある。