気づきの伝道師 藤井一規です。
いくら望ましいことがあるからと言って、
相手の意思を無視して強引になんとかしようとしても
うまくはいきません。
相手の意思が最も大切なものです。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「人間を強制的に救済することはできない。だから彼ら自身の良心に委ねるよりいたしかたない」
by ジョン・ロック(英の哲学者)
どんなに良かれと思って、誰かのために何かをしても、
有難迷惑になってしまうことって多いもの。
結局はその人が望むようにしかなっていかなかったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<良かれと思って>
私たちはときに、誰かのために良かれと思って行動することがある。
相手のためになると信じて、何かをする。
ということが起きたりする。
そして、多くの場合される側にとって、
それは大きなお世話だと感じられていたりする。
一生懸命してくれることはありがたいことだけれども、
どうにも有難迷惑なことが多かったりする。
相手のためにではなく、自己満足になっていないか
よく考えたほうが良かったりする。
<困っていないのに>
例えば、新型コロナウィルスの蔓延に伴い、
世間ではマスクの入手が困難だと言われている。
そんな中、十分手元にあるにもかかわらず、遠方の親だったりが、
高額のマスクを手に入れて、送ってきてくれるようなことが起きたりする。
心配してくれるのは、とてもありがたいことなのだけれど、
困っていて何とかしてほしいと頼んだのならともかく、
「手元に十分あるから大丈夫」と伝えているにもかかわらず、
いくらあっても困らないだろうと、
わざわざ高額のマスクを買って送ってくるとなると、
お願いだから、しないで!と言いたくなるだろう。
こうした、良かれと思い込んで
却って困った思いを招くことはたくさん起きている。
<痛みも必要>
相手のために良かれと思って、
先に手を打ってしまうようなことってある。
よく親が先回りして、子供にとって問題になりそうなところを
全部つぶしてから子供たちに提供したりしている。
本当は、自分で考え、決めて、行動し、
ときには痛い目に遭うことで、どうしたらよいかを学び、
成長することができる。
それを親が手を回して問題を体験しないことで、
甘い考え方を続けてしまったりする。
親としては良かれと思っているのだが、
大いなる勘違いと言ったほうがいい。
親は、親の手元を離れ、子が独り立ちしたときに、
生き残っていけるようなチカラを身につけることこそが大事だ。
良かれと思って、安全確実なレールを引くのは却って逆効果だ。
先輩・後輩、上司・部下、友人などの関係でも
良かれと思えども、強引だったり、強制的にすればよいというものではないと
知っておいた方がいい。