気づきの伝道師 藤井一規です。
事業をするならば、信用が第一と言われます。
世間から信用されるためには、何が必要なのでしょうか?
また、自分自身が人から信用されるためには
何が必要なのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「事業には信用が第一である。世間の信用を得るには、世間を信用することだ。個人も同じである。自分が相手を疑いながら、自分を信用せよとは虫のいい話だ」
by 渋沢栄一(日本の武士、官僚、実業家、日本資本主義の父)
信用は、お互いの信用によって生まれていく。
相手を信用するとは、どういうことなのだろう?
信用していたら、だまされたりするようなこともあるのではないか?
今日の言葉の意味を追求しつつ、
明らかにしていきたい。
もうしばらく掘り下げていく。
<事業と信用>
事業は利益を追求するものだと言われる。
利益を求めようとするとき、損失は避けたい。
ところが、信用することは、緩みがあることになる。
だまそうとする輩もいるし、無駄になることも多くなっていく。
信用していたり、ドンでもないミスがあったりして、
バカを見ることになったりする。
事業の成功につながるのか、疑問がわいてくる。
しかし、日本の経済の父、また資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一が
事業は信用だと言ったのはなぜだろう?
<人が集まる人>
私利私欲を求めている人と、
皆の利益のために活動している人とがいたとき、
人は後者に集まってくる。
自分が儲けられればいい、という人の周りには、
一緒にいることでメリットがある人は寄ってくるけれど、
そのメリットがなくなったとわかれば、
あっという間に人は去っていく。
ところが、自分の利益のことよりも、
皆の利益、未来の利益のために活動している人には
人が自然に集まってくる。
<公益のために動く人>
公益のために動いている人は、
相手を信用し、世間を信用している。
中には、だまそうと近づいてくる輩もいるかもしれない。
得た利益の留保が少なくて、現在のような新型コロナウィルスの流行で
継続が難しくなってしまうこともあるかもしれない。
しかし、人は公益のために動いている人をなんとかしたいと思うもの。
自分を信用してくれたり、世間を信用して貢献している人に共感する。
そういった人たちが困難にあれば、
支援しようとする人たちも現れてくる。
<信用することが事業につながる>
私利私欲を増やそうと目がくらんでいると、
だまされやすくなるし、失うことが恐くなる。
人が信用できなくなっていく。
人の利益のために活動している人には
善意が集まってきて、おのずと意図的にないがしろにすることには、抵抗が生まれるものだ。
私利を忘れて活動することが
却って事業を安定化、拡大化することにつながるのだ。
ときには傷つき、倒れそうになっても
支援が集まり、継続しやすくなる。
それゆえ、事業は信用だと言ったのだろう。