気づきの伝道師 藤井一規です。
愛されたい。
誰もが抱く欲求かもしれません。
しかし、愛されるだけでなく、愛することの素晴らしさに
気づいていきたいものです。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「愛する喜びは、愛される喜びよりも、はるかに優るものである」
by トーマス・フラー(英の牧師)
人は愛を欲する。
愛されたい、愛される価値があると気づきたい願望がある。
しかし、あるとき愛することを知り、
その喜びに気づいていきたい。
もうしばらく掘り下げていく。
<愛されて>
たくさんの愛を受け取ることができた人は幸せだ。
生まれてきて、誰かの世話ににならなければ
あなたは育つことができない。
人は、あらゆる生き物の中で
もっとも未熟な状態で生まれてくるとも言われる。
ものすごい愛を受け取りながらも
それが当然のように感じたりするので、
大人にとっては、ちょっと不愉快なことになったりする。
それでもたくさん愛を受け取ることができた人は幸せだ。
誰かを頼ること、信じることが自然にできるからだ。
<愛を受け取り足りないと>
残念ながら、愛を十分受け取ることが
できなかった子供たちが増えていると言われる。
愛される経験がないと、どうすれば愛することができるのか、
理解できにくかったりする。
自分が愛されていた経験があることは、
愛することをより簡単にする。
信じることや、誰かを頼ること、人といて安心できることは
愛を受け取る経験があった方が楽にできる。
愛された経験が不足していると、
不安や不信が付いて回ったりする。
どうしたらいいのか、わからないまま
自信を持てずにいたりする。
<愛する喜び>
それでも、愛すること気づいたとき、
与えれられる喜びとは違って、
自ら生み出す喜びに気づくことができる。
そこには、無限に湧き出す幸福なエネルギーがそこにある。
商取引のように、見返りを期待するものとは違って、
返ってこなくても愛する気持ちを持つことができる。
私たちは、普段、なかなか期待を手放すことができなくて
期待通りにならないと、イライラしたり、文句を言ったりしてしまっている。
しかし、心から愛することできるとき、
期待を手放して自分から動くことができる。
新しい境地がそこにはある。