一緒にいる時間を大切に
気づきの伝道師 藤井一規です。
いつも身近にいる人、
居て当たり前になっていたり、
ときにはうるさいと思ったりするものです。
いつの間にか居て当たり前になっているかもしれませんが、
それは当たり前ではないかもしれません。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「いつまで一緒にいられるか分からないということをしっかり心にとめてお互いを大切にしよう」
by ジョシュア・リーブマン(米の作家)
居て当たり前で、空気のような存在の人がいたりする。
しかし、本当は、それは当たり前ではなく、
とても有難いことだったりするもの。
もうしばらく掘り下げていく。
<空気のような存在>
特に何か特別なことをしたり、
いっぱい話すわけでもないが、
いつもそばにいる誰かがいたりする。
あなたのパートナーであったり、
親兄弟であったりする。
特に家族は、なんとなくいつもいて当たり前のように感じやすい。
子供のころ、学校から帰ってくれば、
母が家にいて迎えてくれるのは当たり前のことだと思っていた。
待っていれば夕食が用意されることも当たり前だったし、
朝、起こしてくれることも、
お昼用のお弁当があるのも当たり前だった。
しかしながら、よく考えてみれば
それは決して当たり前のことではない。
<何が起こるかわからない>
最近、まだ40代の知り合いが、
心臓疾患で亡くなられた。
またしばらくしたら会えるものと、思い込んでいる人の訃報は、
ショックだったりする。
考えてみれば、自分の身近な人も、
いつこうした病気になってしまうかもわからない。
何か事故に遭ってしまうかもわからない。
近年増えている豪雨災害に巻き込まれてしまうかもしれない。
そこに居ることは決して当たり前などではなくて、
今が特別な時間なのだ。
<大切に>
だから、一緒にいられる時間をもっと大切にしていきたい。
相手のことにもう少しだけ興味をもつだけでもいい。
どんなことを喜び、何を考え、何に興味をもっているのか。
もちろん言いなりになればいい、
相手の期待通りにすればいい、というものではないけれど、
特別に一緒にいられる時間を
どうすればもっと心温まる、素敵なものにできるだろう?
失ってからでは遅いのだ。