気づきの伝道師 藤井一規です。
誰しも、自分の境遇や周りの環境を良くしたいと思うものです。
しかしながら、なかなか思い通りにはいかなかったりします。
それは、なぜなのでしょう?
どうすれば変わっていくのでしょう?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「私たちは境遇を改善しようとは思いますが、自らを改善しようとはなかなか思わないものです。境遇を改善できない理由はまさにここにあります」
by ジェームズ・アレン(英の哲学者)
私たちはより良い環境や、与えられた境遇を改善しようと思い立つが、
なかなか変わってはいかなかったりする。
実は、自分自身が変わることによって、
最も効果的に環境や境遇が変わっていくのだが、
なかなかそこには考えが及ばない。
もうしばらく掘り下げていく。
<与えられた環境に生まれる>
私たちは、生まれてくるとき
そこがどんな環境かを知って、選んでくるというわけにはいかない。
選んでいる、という説もあるが、
証明することは困難だ。
加えて、何もかもが与えられないと生きてはいけない、
生物としては未熟な状態で生まれてくる。
なので、環境や境遇は与えられるもの
という意識がどこかにある。
そして、親を始めとする保護者たちに対して、
与えてくれと要求し、その要求が満たされるという経験を積み重ねていく。
<なにもしないていいのか?>
要求をして、よりよく変わっていくという経験は、
なんとなく、環境や境遇は与えられるものという意識を定着させてしまう。
そして、改善されないと、
周りに不平や不満を漏らす、というパターンを繰り返しがちになる。
しかし、与えられることを待っているだけで
望み通りに変わっていくというのは、
あまりにも自分にとって都合よく考えすぎているかもしれない。
もし、あなたが卓球が大好きで、上達する努力を惜しまない、
という姿勢を示し続けたら、
もっといい環境を提供してあげたい、
と考える人が現れる可能性が増える。
あなたの自分を変えよう、成長させようとする努力が、
周りを動かすきっかけになる。
無為のまま待っていても、変化が起こる可能性は低い。
<自分で変える可能性も>
さらには、誰かを期待するだけでなく、
自ら環境を変えていく可能性もあることにも気づきたい。
与えられることだけを期待するだけでなく、
自ら動き、自ら作る可能性もあるはずだ。
幼少ころの、与えられることが当たり前の世界から踏み出して、
自分の求めるものに向かって
自ら環境や、境遇を変えていくことができるはずだ。
与えられることだけを期待するレベルから
卒業することができた人こそ、
環境や境遇を変え、大きな成長をすることができそうだ。