気づきの伝道師 藤井一規です。
だれもが失敗はしたくないと思っています。
そこで、多くの人は、しようとしていることが正解なのかどうかを
先に確かめようとします。
ところが、人生に起きることは、
誰にも正解が何なのかを示すことなどできなかったりします。
では、どうしていけば良いのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る」
by 坂本竜馬(江戸時代末期の志士、土佐藩郷士)
数学とは違って、人生の正解なんて、
実際にやってみなければわからなかったりする。
親や先達の正解だと言われることをやったとしても、
その正解は、その先達が実行した時点の正解と思われるものに過ぎない。
おまけに、失敗したからこそ大いなる成長をすることができたりして、
失敗することこそが正解だったりする。
今日の言葉について、もうしばらく掘り下げていく。
<夢中で過ごす>
人生において、過ごした時間に価値を感じられる時間って、
どんな時間だろうか?
何らかの成果が得られたり、
自分の成長があったりする時間もそうだろう。
加えて、成果の有無や、成長の有無にかかわらず。
夢中になれた時間なのではないだろうか?
夢中で過ごしていると、
他の人がやらなければならないと考えてしていることよりも
はるかに多くのことを深く取り組むことも楽にできる。
<意味があるからやるのではない>
夢中でやっているときは、
それがどんな意味を持つのか、
どんな結果をもたらすのかをあまり考えていないかもしれない。
しかし、こんな意味があるからやるんだ。
こんな効果があるからやるんだ。
という説得材料がなくても取り組めるということは
義務的に取り組んでいる人よりもはるかに
楽しく、多く、深く経験することができる。
<後からわかる>
そして、夢中でやってきたことの意味は、
時間がたって、あるときつながってきたりする。
こういうことだったのか!
ってつながってくる。
初めから意義をつなげてくるのもありだけれど、
その場合、多くは必要最低限のことだけにとどまっていたりする。
夢中でやっていれば、一見意味がないような
無駄に見えるようなことも取り組める。
しかし、実は無駄に思える中にも、
気づかなかった重要なポイントが含まれていたりする。
むしろ、他の人が取り組まないことこそ、
「あなたならでは」を生み出すと言ってもいい。
意味や意義を考えて進むのもいいけれど、
ただ夢中に生きていれば、
気づかないうちに、すごいことになっていたりするってわけだ。