もしも我が子が「学校に行きたくない」と言ったら。
このブログで書いているのは、そんな悩みへのメッセージです。
もちろん、思春期の子どもの専門家とは言え、僕が見てきた範囲の話ですから、すべての子どもがそうだとは言いません。
僕が出会ってきた3000人の子どもたち。彼ら彼女らと接してきた経験から書かせていただきます。
行くのも行かないのも、この子の選択
思春期の子どもたちの専門家として、これまで16年もの間、中学校現場で働いてきました。
その中には、「不登校」と呼ばれる子どもたちも多くいました。
「不登校」というと、どうしても「学校に行けない子」と見られてしまいます。
ですが、僕はそうではないと思うのです。
「学校に行かない」という選択をした子。
僕はそう考えてきました。
「行けない」のではなく「行かない」。
「学校に行かない」のは、本人の選択です。
いろんなきっかけで、不登校になります。
「なんとなく集団生活に馴染めない」という子もいますし、「いじめが原因」という子もいます。
ですが、それらは引き金であり、きっかけでしかありません。
いじめられても学校に通う子はいます。
「馴染めないな」と感じながら、登校を続ける子もいます。
僕も子どものころ、学校の先生の理不尽な暴力に悩まされました。
けれども、「学校に行く」という選択をしました。
「学校に行く」という選択をする子もいるし、「学校に行かない」という選択をする子もいます。
どちらが「良い」とか「悪い」とかではありません。
どちらが「優れている」と「劣っている」とかでもありません。
ただね、この子にとって、学校は心から「楽しい」と言える場所ではなかった。
「いじめられた」
「先生が嫌だった」
「友だちが嫌だった」
「テストが辛かった」
「勉強についていけない」
言葉は違えど、それらはきっかけに過ぎないと考えています。
学校に通うことに息苦しさを感じている子はたくさんいます。
もちろん、生き生きと通っている子もたくさんいます。
そこに、「良い」とか「悪い」とかはありません。
どちらも、その子らしさです。
感じ方の違いです。
食べ物に好き嫌いがあるように、理屈抜きで学校が好きだったり嫌いだったりするわけです。
嫌なものは嫌なのです。
あることをきっかけに「行かない選択」をしたのだと思うのです。
その子の選択を応援する
僕は「学校の先生」という職業を選びました。
僕は「教育者」という生き方を選びました。
心にいつも置いていることがあります。
それは、「その子の選択を応援する」ということです。
「学校に行くという選択をする子」
「学校に行かないという選択をする子」
どちらも、その子の選択です。
選ばされたわけではなく、選んだのです。
ですから、その選択を応援すること。
これを、僕はモットーにしています。
「学校に行く」という選択をした子には、学校がもっと楽しくなるように、「学校の先生」として精一杯心を尽くしてきました。
一方、「学校に行かない」という選択をした子には、できるだけその子の気持ちに寄り添うようにしてきました。
家庭訪問もしますし、手紙も書きます。
ですが、「学校に来た方がよい」というようなことは一切伝えません。
それは、僕が「その子の選択を応援すること」を大切にしているからです。
もちろん、そんな姿に
「やる気のない先生だ」
「あなたは何もしてくれない」
と非難されたこともありました。
「なぜ、引っ張ってでも連れていかないのだ」
と言われたこともありました。
このブログで一番伝えたいこと
お母さんは、必死に我が子を学校に行かせようとします。
そして、どんどん子どもは心を閉ざしていきます。
お母さんも、子どもも、今を一生懸命生きている。
だれひとり悪くないの。
でも、心がすれ違ってしまう。
そのことが何より悲しいのです。
どちらも愛にあふれている。
それなのに、お互いを苦しめてしまう。
これほど悲しいことがあるでしょうか。
僕は、そんな場面を何度も見てきました。
我が子が親に一番してほしいこと。
それは「自分の選択への応援」です。
子どもが求めているのは、アドバイスではありません。
理解です。
共感です。
応援です。
ところが、多くの大人はついついアドバイスを送ります。
「教えること」を愛だと錯覚してしまいます。
でもね、本当に子どもたちが望んでいることは、応援なのです。
我が子の選択に、寄り添ってみてください。
すべてはそこからはじまります。
魔法のしつもん
この子はどんな選択をしていますか?
その選択を応援するとしたら、どんなことをしますか?
その応援をしたとき、この子はどんな表情を見せてくれますか?