新しい学年の始まりの日。
だれもが期待と不安に胸をふくらませて、登校してきます。
けれど、その教室には一年中だれも座ることのない座席がありました。
ある子からの手紙
始業式の日の教室は、いつにも増してざわざわ。
「新しいクラスメイトはだれだろう?」
「新しい先生はだれだろう?」
みんなそわそわしています。
そんな華やいだ春の日。
教室に一つ、だれも座っていない座席がありました。
その夜、家庭訪問に伺いました。
その子からこっそり手渡された手紙。
そこには、こう書かれていました。
「手紙を書かないでください。
電話をかけないでください。
家に来ないでください」
手紙の文字は震えています。
後にも先にもたった1通、その子からもらった唯一の手紙です。
この子の悲痛な叫びが聞こえてくるようでした。
それは、学校との完全なる断絶でした。
僕は彼女との間に厚い壁を感じました。
僕はズルい人間です。
その子の選択を応援するなどと書きながら、僕はその子に返事を書いたのです。
それは、僕自身のための手紙だったのです。
僕は、僕を守るために手紙を書きました。
実は始業式の午後、お母さんが学校にやってきました。
いや、怒鳴り込んできました。
「ウチの子はやっぱり行けないじゃないか!」
新学年になれば、クラスも変わります。
(きっと学校に通えるようになるだろう)
そう信じていたお母さんの落胆はいかばかりだったでしょうか。
その学校に赴任したての僕は、状況もよくわからぬまま、その子の学級担任になりました。
僕が聞かされていたのは、
「新しい学級になれば、気持ちも変わって登校できるだろう」
という前担任の報告だけでした。
(そんな簡単に行くだろうか…)
僕は半信半疑で新学期を迎えました。
そして、案の定この子は登校することができませんでした。
僕は、真っ赤になって叫ぶお母さんをなだめ、できる限りのことをすると約束したのです。
そのときはまだ、この子に「学校に通う意思」があるのだと思っていました。
ですから、その夜、
「手紙を書かないでください。
電話をかけないでください。
家に来ないでください」
その手紙を読んだとき、目の前に現れた高くて厚い壁に、目の前が暗くなりました。
なぜかと言えば、まず「お母さん」の気持ちに寄り添わねば、と考えたからです。
いや、それは言い訳です。
僕は、僕のために書いたのです。
お母さんを安心させ、学校に怒鳴り込んでこないように書いたのです。
ですから、僕はズルい人間です。
愛の選択、恐れの選択
「返事は要りません。
読みたくなければ、読まずに捨ててください」
そう前置きして、手紙を書きました。
それから、週に2通。
返事の来ることのない手紙を僕は書き続けました。
お母さんは「学校に行かなければならない」と考えています。
なんとしても学校に通わせたかった。
一方、子どもは「学校に行かない」という選択をしています。
そこには、大きな大きな心の乖離がありました。
そして、僕はお母さんに寄り添いながら、子どもの想いを応援したいと考えていました。
ですが、それは非常に身勝手な考え方だったのです。
「学校に行かない」という選択をした子に対して、親は「学校に行かせなければならない」と考えてしまうものです。
それを「良い」とか「悪い」とか、言うつもりはありません。
ただ、知っておいていただきたいのです。
この「〜しなければならない」という考え方が、あなたと子どもを苦しめていることを。
ミヒロさんは「愛の選択 恐れの選択」と表現されます。
「恐れの選択」とは、
「こうでなければならない」
「やらなければならない」
というマインドから出発する選択です。
学校に通うことが、「これまで」の常識でしたから仕方がありません。
「不登校は悪いこと」という固定観念が世の中にはあります。
そこに囚われてしまうことで、親子の関係がどんどん壊れていく姿を何度も見てきました。
一方、「愛の選択」とは自分が心から望むことを選択していくことです。
あなたにとって本当に望むことは何でしょうか。
これを問い続けることが大切です。
「学校に行かせたい」
本当に大切にしたいことは、その奥に隠されているのです。
『魔法の質問』は、あなたの本質とつながるメソッドです。
僕にも3人の子どもがいます。
いつも心にあること。
それは、この子たちが幸せな人生を歩んでくれること。
「生まれてきてよかった」と思ってくれること。
ただそれだけです。
それだけでいいのだと思うのです。
さて、「不登校」に苦しむ親子がいる一方で、「明るい不登校」というのが存在します。
僕の周りには、そのようなご家庭がたくさんあります。
「恐れの選択」を手放し、「愛の選択」をしているご家庭です。
ただ目の前の子どもの気持ちに寄り添い、この子が輝くことだけを考える。
ですから、子どもの「学校に行かない選択」を心から応援しています。
ホームスクーリングであったり、フリースクールであったり、eラーニングであったり。
自分のペースで学びながら、生き生きと暮らしている子どもたちがいるのです。
大人も子どもも、いろんな「選択」をして生きています。
「何を選ぶのか」
それが大切なのですね。