子育てって、お母さん自身を満たすことからだよ♪
子育てって、本当に大変!
自分の人生を子どもに奪われているように感じているとしたら、とっても悲しいことです。
子どもに育ててもらっているの♪
人生の目的は、自分自身の成長なんだそうです。
であるならば、「子ども」って人生の目的を達成するための一級品の課題です。
子育てを通して、親として育てられている。
子どもを育てているつもりが、実は子どもに育ててもらっている。
そのように考えれば、より多くの課題をもった子どもたちほど、たくさんの学びを大人たちに与えてくれる貴重な存在です。
乳児期も反抗期も、同じように愛おしい。
そう思えば、思春期など怖れる必要はありません。
とは言え、我が家だって日々うまくいかないことの連続です。
ですが、「うまくいく」とか「うまくいかない」とか、そういうものでもないのです。
「うまくいった」と僕らが感じるのは、自分の意図した通りに事が運んだときだけです。
他人の行動をコントロールするということは、つまりはそういうことなのですね。
親として子どもの心を制圧してしまうことを良しとしてしまうのは、あまりにも身勝手です。
かく言う僕も、我が子のことでは日々苦労の連続です。
ついつい、長男には「男の子なんだから」と厳しく当たってしまいました。
なんだか「立派な男にしなきゃ」と肩に力を入れて子育てをしておりました。
「あーしなさい」
「こーしなさい」
「子どもは厳しく躾けるべき」と自分を戒め、厳格な父親を演じてきました。
恥ずかしながら、ときには手をあげることもありました。
今思えば、身勝手な子育てであった思います。
長女が生まれ次男が生まれ、やがて彼らもすくすくと成長してきました。
おもしろいもので、一人目の子どもと三人目の子どもでは、力の入り具合が違います。
決して手を抜いているわけではありませんが、いい意味で肩の力が抜けている。
こちらに余裕があるのだから、ある程度のわがままも受け止められるのですね
親としての在り方が一人目の子どもと三人目の子どもでは、大きく変わったのだと思います。
「これは伝えなければならない」
「これは許しても問題ない」
そういうことを経験を通して学んだのですね。
親として子どもたちに育ててもらっているとは、そういうことなのですね。
完璧な親を目指さない
はじめから、完璧にできる人などおりません。
なんだってそうでしょ?
練習して練習して、うまくなるの。
ところがね、子育てだけは完璧であろうとするんです。
うまくやなきゃって思ってしまうんです。
人間はパーフェクトであろうとする生き物なんだそうです。
パーフェクトな状態とのギャップを劣等感と表現します。
いいんだよ。
パーフェクトではなくたって。
おじいちゃんおばあちゃんが上手に孫の面倒を見るのは、一度子育てを終えているから。
余裕があるんですね。
「だいたいこのぐらいでいいのよ」っていう塩梅がわかっている。
僕が先生になりたてのころ、学級の子どもたちの中にもおじいちゃんおばあちゃんと三世代で暮らしている家庭が半分くらいおりました。
今は、ほとんどが核家族ですね。
それで、おじいちゃんおばあちゃんと三世代で暮らしている子というのは、非常に愛情をかけて育てられている印象がありました。
自己肯定感の強い子でした。
もちろん、おじいちゃんおばあちゃんの力もあるでしょう。
でもね、それ以上に感じたのはお父さんお母さんのゆとりでした。
時間的なゆとりと心のゆとり。
ゆとりがあると、子どもたちを受け止めることができます。
一方で、ゆとりがないとゆっくり子どもたちの話を聴いてあげることすらできません。
思春期の子どもとの関係が苦しくなる大きな要因。
それはね
「大人のゆとりのなさ」
にあるような気がするのです。
我が子と向き合うゆとり。
我が子を受け止めるゆとり。
「ゆとり」がないと、僕らはコントロールするという方法で、子どもを意図した方向に向けていこうとします。
そして、それは親と子の関係をさらに苦しいものに変えてしまうのです。
コントロールしようとすればするほど、子どもたちは反発します。
戦えば戦うほど、思春期の子どもたちは徹底抗戦の構えを見せるでしょう。
その戦いの結果は、完全に心を閉ざすか、それとも腕力でもって親を乗り越えるかのいずれかなのです。
いずれにせよ、子どもと戦うというのは、お互いを苦しめるだけなのです。
シャンパンタワーの法則
大人に必要なのは「ゆとり」です。
ミヒロさんの教えに『シャンパンタワーの法則』というのがあります。
シャンパンタワーとは、結婚披露宴などの演出の一つ。
シャンパングラスをピラミッドのように積み上げ、頂上のシャンパングラスにシャンパンを注いでいきます。
やがて、溢れたシャンパンは一段下のグラスへ。
さらに溢れたシャンパンはその下へと順番にグラスを満たしていきます。
人間はだれかを満たすこと、だれかに貢献することを最大の喜びとしているのだそうです。
ですから、私たちは家族や友人、会社やお客様を満たすために、時間とお金、エネルギーを注いでしまいます。
でも、それはシャンパンタワーの二段目、三段目にシャンパンを注いでいるようなものなのです。
一生懸命満たそうとしても、すべてのグラスに注ぐことはできません。
では、すべてのグラスを満たすにはどのようにすればいいでしょうか。
その方法はたった一つしかありません。
頂上のグラスを満たすことです。
では、頂上のグラスとは、何を表現しているのでしょうか。
それは、自分自身です。
なにごとも「ほどほど」が良いのです。
「良いお母さん」と「子育てが完璧」は同義語ではありません。
子育て家庭のライフスタイルに必要なのは「ゆとり」です。
「ゆとり」を生み出すために、まずは自分自身を満たすことから始めてみませんか?
魔法の質問
自分のグラスを満たすためにできる、はじめの一歩は何ですか?