私は30年近く
県立学校で教員をしていました。
元養護教諭(保健室の先生)です。
保健室にはけがの手当てをしたり
体調の悪い子が休養にやってきます。
そして「心のケア」を求めて
やってくる子もいます。
心のケアといってもひとりひとり対応が違います。
少しでも自分を「受け止めてもらえた」という
実感があれば、ただそれだけで
笑顔になって元気を取り戻す子もいます。
でも、
笑顔になったはずの子が、
何度も同じようなパターンで
保健室にやってくるというケースもあります。
A君もそんなひとりでした。
「あいつ!むかつく!」
「あの先生、うっぜーんだよ!」
「うちの親、全然わかってくれないし!」
その子の笑顔はとてもさわやかなのに
一旦怒りのスイッチが入ったら、
目は真っ赤に充血し、
焦点が定まらず、
ギラギラとした眼差しで
保健室の床をにらみつけるのです。
握りしめた手は
ワナワナと震えています。
ちょっと短気なA君は
友達や先生とたびたびトラブルを起こす子でした。
「〇〇君が~~したから、僕はイラッとした」
「〇〇先生が僕に~~と言ったから僕はやる気をなくした!」
「おやじの〇〇なところが気にくわねー!!」
だから、
俺はこんなに怒ってるんだーーー!!!
そういっては、ギラギラした目で
保健室に「逃避」してきました。
完全に被害者モードです。
当初、彼とのやりとりは、
カウンセリング的対応で関係性を作っていきました。
でも、ここから私のジレンマが始まるのです。
彼は自分の思いを言い放ったあと、
とてもすっきりした顔になって
保健室を出ていくのですが、
数週間後にはまた、同じようなパターンで
ギラギラした目で保健室にやってくるのです。
そんなことが約8か月間続いていました。
「どうしたものか・・・・・」
ついには、私自身がA君との関係に
いらつき始めました。
私が彼を受け入れていけばいくほど、
彼の「被害者意識」は
だんだん大きくなるように感じていました。
これはやばい!です。
「保健室の先生は、子どもを守るべき」という
自分に課した「マイルール」が
私の中で、揺らぎ始めます。
子どもを守るどころか、
A君に対して怒りにも似た感情が
だんだんと膨らんでいきました。
そして私自身、
その感情とどう向き合っていけばいいか
混乱していました。
そんなときです。
「魔法の質問」に出会ったのは。
「うまくいったことはなに?」
「どのようにしたらできる?」
このふたつのしつもんが、
私のジレンマを解くきっかけをくれました。
A君との関係性がどんな風に変わっていけばいいか、
それを考えながら
このふたつのしつもんを
私自身に問いかけていきました。
「彼のいいところはどこだろう?」
「それを彼が自分で伸ばしていくことができれば、
どんな状態になるだろう?」
「私はそれをどのようにサポートできるだろう?」
そんな気持ちで彼を見ていきました。
ある日、彼の能力は
「観察力」であることに気づきました。
そこでこんな質問をしてみました。
「A君は人をよく見ているね。観察力があるなあ。
でも、どうだろう?
A君は今、人のできていないところばかりをさがしているように私には見えるのだけれど。
まるで『悪い所さがしめがね』をかけて周りを見ているみたいだね。
もし、良い所をさがす『良いところさがしめがね』に掛け変えたら、
どんな世界がみえるだろう?」
A君は言いました。
「人の良い所が見えてくるかな」
私:「じゃ、もし良いところが見えたら、
どんなことが起こりそう?どんな気持ちになれる?」
A君:「イラっとしなくなるかも・・・・」
私:「めがねは、いつでも掛け変えることができるんだよ。
どう?良い所さがしめがね掛けてみる?」
私からの提案を彼は断ることもできたのですが、
彼はあっさりこう言いました。
A君:「うん、掛けてみる」
私は「良い所さがしめがね」を
おもむろにポケットから取り出し、
A君に掛けてあげました。
と、言っても、それは
「エアめがね」なんだけどね。
そして、時々、
A君と廊下ですれ違うたびにこう聞きました。
「良い所さがしめがね、まだ掛けてる?」
「うん、掛けてるよ」
A君はうれしそうに答えます。
それから、
だんだん、A君の様子が変わりました。
イライラすることが少なくなりました。
担任の先生とやり取りする毎日の日誌には
がんばったこと、うれしかったことなどが
たくさん書かれるようになりました。
これには担任の先生もびっくりしていました。
この間、約2週間、です。
良い所さがしの
エアめがねの効果は抜群でした(笑)
人は、
自分の心のフィルターを通して
世の中を見ています。
「見たいものしか見えないフィルター」
目の前の「できごと」は、
単なる「できごと」であって、
そこにどんな感情を乗せるかは、
その人のフィルターを通してみたモザイクの世界です。
それをどのように解釈し、
意味づけするかは
その人の無意識の感情が引き起こす
反応でしかないのですね。
でも、
めがねはいつでも掛け変えることができます。
そして
自分の見たい世の中を
見ることができるようになります。
A君がそうであったように。
私のめがね(心のフィルター)も
数年前とは全然違ったものになってます。
なので
見えている世界が全く違います。
これからも幾度となく
掛け変えることがあるかもしれません。
どんなめがねを掛けていこうかと考えると
ワクワクしてきます。
そんなことを考えながら、絵を描きました。
「どんな世界を見ていきたいですか?」