思春期の子どもの専門家として、たくさんのご家庭と接してきました。
自分で選んだ道を、自分の足で歩いていく力を身につけるのが思春期です。
そんな「力」を育てる方法。
それは、信じて待つこと。それだけです。
先回りをしてしまうお母さん
3者面談というのがあります。
先生、生徒、保護者。3人が顔を合わせて話をします。
「ちょっと心配だな」って感じるときがあります。
僕が子どもに向けて「しつもん」を投げかけます。
子どもたちは、じっくりと考えます。
ですから、僕はその沈黙を味わい、子どもたちの言葉をじっと待ちます。
穏やかな気持ちで、ニコニコとした表情を浮かべ、ただただ待ちます。
ところがです。
「ほら、◯◯ちゃん。先生は、こう尋ねてるのよ」
「ほら、早く答えなさい」
「あの、この子はね、いつもだったらこう答えるんですよ。先生としゃべるときは緊張するのかしら」
そうやって、先回りをしてしまうお母さんは、必ずいらっしゃるものです。
お母さんが口を開くたびに、子どもの表情は曇っていきます。
お母さんは一生懸命なんです。
でもね、その一生懸命さが子どもの心に向いていないのです。
子どもはね、ホントはね、待ってほしいんだよ。
小さい子は直感で話をします。
でも、思春期の子は、大人の前で言葉を選ぶようになります。
場と相手に合わせて、言葉を選ぶわけです。
「こんなこと言ってもいいのかな?」
「こんなこと言ったら叱られるかな?」
思春期の子どもってね、身体は大人で、心は子どもで、頭の中はその両方を行ったり来たりするんだな。
一生懸命考えて、じっくりじっくり考えて、言葉を紡ぎ出すんですね。
それが大人になるということです。
だから、待ってあげるのって、とても大事なことなんです。
ところが、お母さんは言葉が待てない。
「ほら!」
「ほら!」
「ほら!」
次を促してしまう。
ある日の家庭訪問で
学校にずっと来ない子がいました。
ある日の家庭訪問。
子どもは一言も話しません。
ベッドの縁に腰をかけ、所在なさげにたたずんでいます。
拒絶するでもなく、話をするでもなく、ただそこにいるだけ。
「心がここにない」
そんな感じでした。
終業式の日、通知表やら、溜まった書類などを届けました。
一つひとつ声をかけながら、手渡します。
この子、ちゃんと受け取るんですね。
返事はしないし、表情は変えないけれど、ちゃんと受け取るんです。
けれど、僕が手渡すたびに、お母さんは口を開きます。
「ほら、先生、来てくれたのよ」
「ほら、何とか言いなさい」
「ほら、これ、ちゃんと読むのよ」
そのときです。
彼女と一瞬、視線が交差しました。
その瞳から感じたのは悲しみでした。
孤独でした。
(先生、早く帰って…)
僕には、たしかに聴こえたのでした。
僕がここにいれば、彼女はさらに母親から「ほら!」「ほら!」「ほら!」と言われてしまう。
この場に留まれば、この子はもっと責められてしまいます。
僕は、足早に家庭訪問を終えました。
それが正解だったのかわかりません。
この後、「冷たいじゃないか」とお母さんにはずいぶん責められました。
このブログでお届けしたいこと
人間は「すべて」を選んで生きています。
大人も子どもも、ちゃんと選択する力をもっています。
そして、その「選択」に正解も、不正解もありません。
けれど、選択するのに時間のかかる子はいます。
いていいのです。
じっくり考えて選択する子。
直感で選択する子。
そこに「優」も「劣」もありません。
だから、選択する時間をあげてください。
待ってあげてください。
「ほら!」
「ほら!」
「ほら!」
と急かし続ければ、子どもたちは「選択すること」そのものをあきらめてしまいます。
信じて手放す。
この子を信じて、待ってあげてください。
たとえば、学校に行くという選択、学校に行かないという選択。
それだって、すべては「この子の選択」です。
もしも「行かない」という選択をしたら?
してもいいんです。
選択する力をもった子はね、その先の選択もちゃんとできるはずですから。
心を閉ざしてしまうのは、選択することをあきらめてしまったとき。
これほど悲しいことはありません。
その選択を応援するためにできることは何ですか?