気づきの伝道師 藤井一規です。
子どもは褒めて育てたほうがいい、
いや、叱って育てたほうが良い、
という議論がある。
今日は、褒めること、叱ること、そしてそれを超えるアプローチについて考える。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/8098/
この記事の目次
「叱られたり褒められたりして育った人は、叱られたり褒められたりしないと行動しなくなる。そして、評価してくれない相手を敵だと思うようになる」
byアルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医、心理学者)
褒める教育がもてはやされた時期があった。
褒められることは、うれしいことであり、意欲を出させてくれる
不思議なパワーを持っている。
日本では、相手を褒めることをあまりしない文化だったこともあり、
褒める教育の素晴らしい面が強調された。
しかし、いつなんどきでも褒めさえすればよい、というものではない。
<褒めることの功罪>
特に、子どもが親から褒められると、
もっと褒められたい!と考える。
子どもの人生にとって、伸ばしたら素晴らしいところを
褒めるのであれば、とても効果があると言える。
しかし、それがゆえに、逆効果を呼ぶことがある。
例えば、お客さんがいるところで、
この子はおとなしくて、いい子なの。
なんて褒められたら、もっとおとなしくしようとする。
でも、ちょっと待って。
おとなしくしてさえいれば、本当にいい子なのだろうか?
親の、大人の都合に一致する結果から生まれてきた評価を
褒め言葉に遣ってはいないだろうか?
褒められることを求めて、
行動するようになってしまうと、
本心や、本来とは異なる行動を、
気づかずに親が強いてしまうことになる。
<無条件に褒めると>
また、子どもを溺愛するばかりに、
わがままから社会通念上問題になるような行為をしても、
褒め続けるケースがある。
そうなると、
私は特別。自分勝手、傍若無人な行動をとってもいいんだ!
と、勘違いしたまま成長させてしまうことになる。
そうして、護っているはずの親をも
傷づけて平気な子になってしまったりもする。
<叱ることの功罪>
さて、叱ることには、即効性がある。
危険が迫っているとき、緊急なときには、
叱ることは効果がある。
命や身体の危険を避けるために叱るのは効果的。
また、行為に対してのインパクトを持つ。
ここで、叱っても、その行為をしようとした意図、
心には響かないことは覚えておきたい。
また、あなたの真剣さ、思いを伝える効果があり、
適切に叱ることは、良好な関係を築くことにもつながる。
ところが、
叱られてばかりいると、
叱る人がいなければ、やってしまおうと考えたりするようになったり。
自分に関心を示してもらえないとき、
注目を集めるために、わざと叱られるようなことをしたり。
あるいは、自分が叱られると気持ちや行動を抑える経験から、
人をコントロールするのに、叱ることを多用するようになったりする。
また、親子なら叱っても関係が崩れることは少ないが、
叱る-叱られるだけの人間関係は、崩れていく可能性が高い。
<相手を認める>
褒めることも、叱ることも、それを伝える相手からの評価。
もし、どんな評価をされるのかを気にして、
できた自分はOK、出来なかった自分はNGのように
自分に○×をつけていくと、
失敗したくない、挑戦したくない・・・
なんてことになりがち。
結果を基にフィードバックを伝えるのではなく、
こうしようとしたんだね。
これを大切にしようとしたんだ。
などと、
やろうとしたこと、達成したかった思いを
認め、そのことに感謝をつたえていきたい。
もともと、ひとは存在そのものが素晴らしいものであり、
結果がその価値を左右するものではないこと。
結果がうまくいかなかったときにも、そこからくじけずに
立ち直ることこそが大切なこと。
こうしたことこそ、伝えたいはずのことなのだから。