自分を責めてしまうパパとママに贈る魔法の質問
思春期の子どもの専門家、くればやしです。16年間、中学校で子どもたちと過ごしてきました。ようやく「専門家」と言えるだけの経験を積むことができました。
けれど、僕は親として「まだまだ」の人間です。日々、子どもたちに育ててもらっています、親として。
僕はひどい父親です
我が家には、3人の子どもたちがいます。
目にいれても痛くない、珠のような我が子たち。
3人育ててきて、ようやく「子育て」というものの本質が見えてきました。
けれど、まだ子どもたちが小さなころ。
それはまだ、次男坊が生まれる前のこと。
僕はひどい父親でした。
悪いことをすると、すぐに叱っていました。
「悪い」というのはジャッジですね。
僕の感性で子どもの言動が気に入らなければ、怒鳴りつけていました。
時にはゲンコツが飛びます。
平手打ちが飛びます。
それを「躾(しつけ)」と呼んでいました。
「威厳のある親父」
そんなものを演じていました。
恥ずかしい限りです。
それは、自分らしくない在り方でした。
でも、そんなこと気がつくことはありませんでした。
この言葉を聞くまでは…。
お父さんだって叩くじゃん!
ある日のこと。
それはまだ、長男くんが幼稚園児のころ。
僕が食卓で仕事をしていると、「バチン!」と大きな音が響きました。
続いて聞こえてきたのは大きな泣き声です。
妹が頭を抱えて泣いています。
「お兄ちゃんが叩いた…」
すでに、長男は僕の顔を見てひきつった顔をしていました。
やっぱり僕はひどく怒鳴りました。
「なんで叩くんだ?」
すると、長男くんが目に涙を浮かべてこう言いました。
「だって、◯◯ちゃん(妹の名前)が、僕のおもちゃ、返してくれないんだもん!」
僕は思わず、叫びました。
「そんなことで叩くな!」
すると、長男くんが泣きながら言うんです。
「お父さんだって、悪いことしたら叩くじゃん!
◯◯ちゃん(妹の名前)が嫌なことしたから、僕も叩いたんだよ」
僕はその言葉を聞いて、言葉を失いました。
心の底から恥じました。
「お父さんだって、悪いことしたら叩くじゃん!」
何度も耳にこだましました。
僕が振る舞ったことを、この子はしただけなのです。
暴力を振るわせたのは、僕なのです。
今も反射的に叱ってしまうことがあります。
そのたびに、彼は身構えているのがわかります。
そのたびに、はっとして、胸をしめつけられます。
我が子に育てられています。
愛の選択、恐れの選択
本当はね、教育者だなんて胸を張って言えないんです。
ときおり、路上でひどく子どもを叱っているお父さんを見かけます。
そのたびに、「あの頃の僕」に出会った気持ちになります。
理想像に当てはめていました。
自分自身も子どものことも。
こんな親にならなきゃ!
こんな子に育てなきゃ!
それは「恐れの選択」でした。
それは、だれも満たしませんでした。
それは、暴力が連鎖する歪な愛情表現でした。
「こうでなければならない」という「恐れの選択」。
自分自身も子どもそのものも愛せていなかったのかもしれません。
いや、それを愛だと思っていたんです。
ただ、目の前の子どものありのままを受け入れ、認め、許し、愛すればいい。
あの頃の僕にどんな言葉をかけてあげればいいのでしょうか。
生まれてきてくれてありがとう♪
きっとあの頃の僕には、どんな言葉も響かなかったと思います。
でもね、我が子は気づかせてくれたのです。
「お父さんだって、悪いことしたら叩くじゃん!」
この子に会えたから、親として磨かれたのです。
親が子を育てているのではなく、子が親を育てている。
僕はそのように実感しています。
「お父さんだって、悪いことしたら叩くじゃん!」
あの言葉が今も胸の奥の方を突きます。
生まれてきてくれてありがとう。
ただ、それだけなのに。
この子はこの子であるだけで素晴らしいんだよ。
魔法の質問
この子は、あなたに何を届けてくれていますか?
この子が生まれていない人生があるとしたら、それはどんな人生だろう?
自分を本当の意味で満たすために、何をしますか?