気づきの伝道師 藤井一規です。
言葉の遣い方は、大切。
無意識のうちに、自分の能力を制限してしまっていたり
うまく発揮できるようにしていたりする。
今日は、ダメという言葉の遣い方について考える。
<ブログ>
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この記事の目次
「『もうダメ』ではなく、『まだダメ』なのだ」
by野村克也(元プロ野球選手、監督、野球評論家)
絶体絶命のピンチに陥ったとき、
「もうダメだ」
と言ったり、思ったりしてしまうかもしれない。
しかし、その言葉のせいで、
可能性を自ら潰してしまっているのだとしたら?
<言葉で意味が変わる>
人は、何かを体験したとき、
その体験を言葉に変換していたりする。
またどんな体験なのかを、無意識のうちに
言葉でラベル付したり、分類していたりする。
そして、体験したことを誰かに伝えようとすれば、
言葉に変換するというプロセスが起きていく。
そのときに、同じことに対しても、
いろいろな表現の仕方があることに気づきたい。
コップに半分の量の水があるとしたら、
「半分しかない」とも言えるし、
「半分もある」とも言える。
「半分ある」と言う人もいるだろう。
半分しかない、と言えば
悲観的な意味と響きを持つ。
半分もある、と言えば
肯定的な意味と、響きを持つ。
半分ある、とだけ言えば、
冷静に、ただ事実を伝えている感覚が生まれる。
同じ状況、事実においても、
どんな言葉を遣うかで、
どんな意味を与えるか変わってくる。
<「もうダメだ」と言ったなら>
さて、「もうダメだ」と言ったり、聞いたりしたら、
どんな感覚がひき起こされるだろうか?
もう、未来は存在せず、完全にあきらめなければならないような
そんな感覚が生まれてくる。
本当にそういう気持ち、
意図的に終わらせようとしているのならOKだけれど、
もし、本当は実現したいこと、
やりたいことなのだとしたら、
「もうダメだ」と言うことによって、
可能性を自ら無くそうとしていることに気づきたい。
<言葉には現実感をもった魔法がある>
では、「まだダメだ」と言ったり、聞いたりしたら?
今はダメだけれど、未来においては、
実現できる可能性があるような感覚が湧いてくる。
同じ状況であっても、「もうダメだ」と言うか「まだダメだ」
とでは、全く違った意味になっていく。
自分が使った言葉は、自分に言い聞かせていることになる。
その結果、とても大きな差が生まれるのだ。
そう、言葉には、ただの文字というだけでなく、
言葉がもっているフィーリングや、感覚、言外にもっている膨大な意味も
一緒に連れている。
とくに、自分の体験と結びついている言葉であれば、
その体験をも引っ張り出してきたりする。
言葉には、現実感を持った魔法がある、と言ってもいい。
<言葉を選ぶのはあなた>
どの言葉を選ぶかは、無意識のうちに行われるものだけれど、
意識的に、習慣づければ、無意識のうちに
望ましい言葉が選ばれるようにすることもできる。
あなたの人生の可能性を左右することができるとしたら
どんな言葉を遣いたいですか?