気づきの伝道師 藤井一規です。
愛
誰もが得たいと望んでいるもの。
どうやったら手に入るのか?
今日は、愛について考える。
<ブログ>
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この記事の目次
「愛する者は、愛される者より愛の近くにいる」
byジャン・ジロドゥ(フランスの外交官、劇作家、小説家)
誰もが愛を求めている。
しかし、誰かが愛をくれるように求めても、頼んでも、
思うようにはいかない。
相手にいくら愛情を注いでも、
返ってこないと感じることもある。
では、どうすればいいのだろうか?
<愛とは何か知っている?>
まず、愛がどんなものかがわかっていないと、
愛を手に入れられたかどうかを
知ることができない。
愛を受け取る経験は、とても大切。
人が未熟な状態で生まれてくるのは、
ひょっとしたら、愛される経験をするためかもしれない。
と思うくらい。
しかし、親の立場からすると、
大変な苦労を背負ったような気持ちになることがある。
同時に、自分が受け取ってきたものの温かさ、大きさにも
気づかされる。
<自己犠牲と愛>
親にとっても、未熟な状態で生まれてくる
子どもを持つ経験は、
とても大きなものになる。
自分の都合よりも、子どものことを優先する
ある意味、自己犠牲のような状態を迫られるからだ。
しかし、「自己犠牲だ」と感じながら
相手に対しているときは、
見返りがないと、心が満たされない。
これは、親子の関係だけでなく
誰との関係でも言えること。
相手に好かれたいから、社会的な対面から
という理由で、身を削って何かを提供しているのだとしたら
自分の心の弱さ、隙間をその行為で
埋めようとしていることになる。
<心の成長と愛>
愛することができるようになるには、
心の成長が必要になる。
自分の心を閉ざしているとしたら、
相手に自分の本当を思いをとどけることができない。
ときには相手に嫌われようとも
相手のことを考えて行動する必要があったりもする。
相手から自分に対して心地よい反応が返ってきて、
それで自分の心を埋めようとするのは、
相手のことを愛しているとは言えない。
自分の心の弱さを誰かから与えられたもので
埋めようとしていることになる。
<愛することは心の成長の証>
だれもが弱さを抱えている。
そのことを知れば、
自分が誰かのためにできることがあることがわかる。
自分を受け留め、
自分の弱さと向き合う。
そして、相手から受け取ることを期待せずに、
自ら手を差しのべてみる。
相手の喜びのために
自分から進んでやってみる。
すると、相手の喜びが、自分の心に幸せの感覚を与えてくれることに気づく。
自分の価値を認めることもできる。
愛されることは、心が未熟な状態でも起きるけれど、
愛するためには、心の成長が必要なのだ。