気づきの伝道師 藤井一規です。
生きていれば、
誰かを憎んだり、恨んだりすることが
あるかもしれない。
復讐に心を奪われた人生が
幸福に満ちたものになるとは思えない。
しかし、そうとわかっていても、
簡単には許せないことがある。
今日は、許していくことについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ」
byマハトマ・ガンジー (インドの政治指導者・思想家・インド建国の父)
許すことが大切なことは、
頭では理解できる。
しかし、酷いことをされて、
散々な目にあわせた相手をそんなに
簡単に許すことは、できるものではない。
では、どうしていけば良いのだろうか?
<恨むこと、憎むこと>
酷いことをされる、散々な目にあわされるってことは、
相手の方が上から押さえつけてくるような感覚がある。
それに対抗して、相手を憎み、恨み、
復讐して、その思いを晴らそうと考えることがあるかもしれない。
世界中に、敵討ち、仇討ち、復讐のストーリーが
語られたり、映画や人気テレビ番組になったりするように、
こうした情念は、誰もがなんらかの経験を持つものだけに、
人をとりこにするところがある。
しかし、
こうした感情に囚われていると、
嫌なエネルギーを持ち続けることになるし、
復讐しても、それはまた復讐を呼ぶことにもなり、
憎しみの連鎖を生み出しかねない。
<許すということは>
どこかで、許すことによって、
負のエネルギー状態から抜け出す必要がある。
許すことができるということは、
憎む相手よりも、
一段上の立場であったり、
より広い心であったり、
より強いからできること。
できることなら、許すことを目指したい。
<すぐに許せなくてもいい>
しかし、
そう簡単に許せないことだってある。
許すことが人間として望ましいと
わかっていても、許せない。。。。
そういうことはある。
それだけ大切にしていたものがあったということ。
無理やり、許そうとしても、
うまくはいかないもの。
<まずは自分を許す>
そんなとき、まず、
許せないでいる自分を許していきたい。
憎しみや、恨みに囚われている自分を
温かく包む込み、許していく。
それは、負の自分よりも
一段上の立場であったり、
より広い心であったり、
より強いからできること。
許す体験をすることは、
それまでの、マイナスの情念に囚われた状態から抜け出し、
新しい感覚を与えてくれる。
もちろん、それですぐに相手を許せるって
わけではないかもしれないけれど、
許すことが与えてくれるもの、
許すことの大切さを感じさせてくれる体験となる。