「子育てで大変な夏休み」を「ママにも嬉しい夏休み」に。
大学生(長男)、中学生(次男坊)、小学生(娘)
3児の母のりんごろです!
子ども達、今では大きくなりまして
さほど手のかかる子はいません。
楽になったもんだなー
こんな日がきたんだなー
と思います。
10年前の夏休み、10歳、4歳、1歳。。。
どうして過ごしていたか、覚えていません。
学校や幼稚園に通っている時はまだいいのです。。。
長い休み、特に夏休みがきた時は『大仕事』だと言い聞かせていたように思います。
お昼に素麺を準備するだけでも汗だく!
食べる量もまた多くてねぇ、、、
茹でるだけで楽チ〜ン!という素麺の鉄則を彼らは見事に破ってくれました・笑
食べ終われば、床を拭くのも当たり前。
どうしてここにご飯が飛ぶかな?なんて疑問に思っていたら、
やっていけなかったでしょう。。。
わたしもご飯をゆっくり食べたーーーいっ
は、
もはや願い事のようになっていました。
今日は新月ですね♡
あの頃のわたしが新月の願いを書くなら、
わたしにも長期の夏休みを!!!!!
と願っていたでしょう。
2人目までは、なんとか両目で追えました。
両手を使えばストップをかけることもできました。
関わることも、濃くできたように思います。
が、
3人となると、誰かは目で追えなくなり、
見落とすことも多くなり
わたしの思っていた子育てができない!!!!!
そう強く感じたことを覚えています。
そうです。
ここからがわたしの子育てを通した「自分育て」が始まるのです。
思うようにできた子育ては、思い通りにしたかった子育て。
今ではそう感じています。
神さまは知っていたのでしょうね。
てんやわんやになって、人に頼り、子どもとともに生きること
を
わたしが知るには3人必要だったと。
わたしが親になったのではなく
子どもがいたから親になれた、んです。
3人のバラバラな個性の子達と過ごしてきて
いつのまにか忍耐力も体力もついてました。
(最初からあるって!と子ども達に言われてますが、、、ね)
今、カウンセラーとして様々な相談を聴いています。
その中で、小さなときの思いや、母親との関係を話される方は多いです。
わたしがそうなので分かりやすいと思いますが
親も未熟なんです。。。
というより、一緒に成長しているのです。
少しだけ、子どもよりは経験が多いだけで。
子どもがいたから親になれたのです。
言われた悲しかったこと、キツかったこと、甘えたかったこと、認めてほしかったこと
いろいろあると思います。
が
素麺を準備するだけでも汗だく!必死だったりもします。
(わたしだけかもしれませんが)
親は完璧な人間ではありません。同じように個性あるひとりの人間なのです。
だから、親に認められなかったからと言って
自分の価値が低くなるなんてことはありません。
親からしたら、存在だけで嬉しいのです。
うまく伝えられなかったのは、
親も伝える術を教えてもらってこなかったか
寄りそうことを知らなかった(恐れていた)のだと
今ならわたしは思います。
必死だった、あの頃のわたしに
わたしは伝えてあげたいです。
楽になるよー
そんな日がくるよー
と。
それは
子ども達が大きくなることが条件なのではありません。
子どもへ責任を感じて生きるのではなく
子ども(ひとりの個性)とともに生きること、
お互いに寄り添い、頼り、任せ、成長し合おうとするところから始まるのだと。
2016年の夏休み。
お弁当作りから解放され、朝食は子ども達が用意してくれてます。
良い香りと
キッチンからの音で起きる
束の間の嬉しい日が わたしにもやってきましたー(*´艸`*)
ともに生きると
相手もわたしを大切にしてくれます。
ポケモンGOも一緒にやってますけどねー
それでは、りんごろからの『しつもん』です。
親と子だけの枠から
出てみると
新たな関係性、セカイが生まれます。