気づきの伝道師 藤井一規です。
と同時に、批判される発言もでてきたりする。
こうした特徴のあるケースについて考えると、
日本人がはまりやすいパターンが見えてくる
今日は、結果に対するコメントについて考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/9158/
この記事の目次
「金メダル獲れなかった~
頑張った
ほんとしんどかった~
暑いけど、色々なことがしんどすぎて
金メダルを目指したから最後まで頑張れました
こんなに頑張った自分はいなかなと思います
特別な時間を過ごせました
応援ありがとうございました
マラソンはきつい
オリンピックのマラソンは苦しいけどでるもんだね」
by福士加代子(マラソン選手)
女子マラソンで、福士加代子さんのこのコメントと、そのコメントをする姿には
たくさんの批判が集まっているという。
試合直後のインタビューが当たり前になっている今、
もともと奔放と取られる発言をしていることもあり
注目もあつまるわけですが、
TVでの中継や録画の映像を見たひとから、
14位なのにヘラヘラしているとか、金メダルだとか、
反省や謝罪がないとかという反応が多い。
あなたはどう思う?
<謝罪をしなければ?>
特に、メダルを期待された日本選手が、
メダルを取れなかったとき、
「もうしわけありませんでした」
「すみませんでした」
を筆頭とした、謝罪のコメントの多いこと。
出場する選手に、
過剰な十字架を背負わせているように
感じられてならない。
<オリンピック出場>
オリンピックは、一部の参加制限や辞退者はあるものの、
世界最高峰のスポーツの競技大会であることに間違いない。
そのオリンピックに出場できるということは、
世界のトップアスリートのひとりであることの証明。
厳しいトレーニングに耐え、努力を重ねて、
世界のトップレベルに到達してきたひとたち。
その素直な気持ちは、
尊敬の念をもって迎えるほうが自然のように思われる。
<謝罪するわけ>
もちろん、育成には税金も投入されているわけで、
国民と関係がないということではないけれど、
謝罪がないと批判している人は、
税金のことを考えて言っているわけではないと思われる。
どうやら、謙虚さを美徳とする考え方が、
勝っても謙虚。負けたらなら反省。
といった応対を良しとし、
それに反しているとみるや、
批判が溢れだしてくる。
発言はメディアで取り上げられ、
その反響もすぐに本人にも伝わっていく。
そうなると、選手の方も過激な反応が起きるような発言は
避ける方向に行く。
ひょっとすると、プレー自体も
安全策に偏ってしまうかもしれない。
<大切にしたいのは>
しかし、トップの勝ち負けを超えた世界の舞台、
それを経験した人の、その瞬間の素直な思いは、
とても貴重であり素直に受け留めたい。
失敗したら謝罪というパターンしかないのであれば、
チャレンジをあきらめる動機にもなりかねない。
4年後の東京オリンピックが開催されれば、
金メダルを期待されるケースも増えていくと思われ、
気になるところのひとつ。
振り返って、私たちの日常生活でも
「期待」が存在するところには、同じようなことが起きる可能性がある。
「期待」をかけることはOKだけれど、
その通りの結果がすぐに出るかどうかは、手放していきたい。
うまくいかなくても、愛情を持って迎えていきたい。
成長していくこと、未来に向けて進んでいくことのほうが
結果をすぐに出すことよりも大切なことに気づいていきたい。