気づきの伝道師 藤井一規です。
幸運やチャンスをつかむ人とつかめない人、
そこには、どんな差があるのだろう?
今日は、幸運をつかむためにすべきことについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「チャンスは備えあるところに訪れる」
byルイ・パスツール(仏の細菌学者)
世の中には、ものすごい幸運をつかむ人もいるし、
チャンスや運に見放されていると感じてしまうような人もいる。
そこには、どんな違いがあるのだろう?
<幸運の確率>
幸運やチャンスは確かに存在している。
ただ、誰のところに訪れるか、
自分のところにやって来るのかどうかはわからない。
この世界では、だれにでも同じことが起きるというわけではない。
またスポーツの試合でも流れがあるように、
一旦起きた流れは、しばらく続く方が自然で、
不公平があるように感じられるもの。
しかし、誰のところにも、チャンスや幸運が訪れる可能性がある。
確率としては誰にでも同じ。ということができる。
そういう意味では、全くの平等・公平と言える。
<チャンスをチャンスとするには>
でも、実際にやってこないなら不公平!
はい、残念ながらこの世は不公平。
しかし、取り上げたいのは、
チャンスは訪れているのに、チャンスとは気づかなかったり、
チャンスかもと気づいても、つかみ損なってしまうことがあることだ。
ラッキーなことを「棚からぼた餅」と言ったりするが、
棚からぼた餅が落ちてきたときに、
そのことに気づかなければ餅は床に落ちて、食べられなってしまう。
気づいて、受け留めようとしても、
受け留め損なうこともある。
いかにいち早く
落ちてきそうなぼた餅の存在に気づくか、
落ちてくるのを受け留める準備をしておくか、が大切になる。
<準備が必要>
ペニシリンの発見も、フレミング博士が
失敗に思われた実験で発生したアオカビを見て、
ああ、失敗か。。。と考えて通り過ぎずに、
あれ、これはどういうことだろう?
ひょっとしたら!?
と、気づいたから。
同じような経験をするひとがたくさんいても、
ほとんどの人は、なんだ、たいしたことないやって、
見過ごしてしまう。
しかし、そういったことのなかに、
チャンスや幸運が隠れている。
ヒット商品は、
日常の仕方がないかと皆があきらめているような
ちょっとした不満を解消するものだったりする。
これは幸運なのかも、チャンスかもって捉える
アンテナを立てている人に、
そして、それをつかみとるための
準備ができている人にチャンスとなるのだ。