気づきの伝道師 藤井一規です。
ひとそれぞれに素晴らしさがある。
にもかかわらず、
その輝きを十分生かさずに
日々をただ周りに流されていたりする。
今日は、誰かについていく人生、自ら進みゆく人生について考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/9303/
この記事の目次
「わたし達の急務は、ただただ眼前の太陽を追ひかけることではなくて、自分等の内に高く太陽をかかげることだ」
by島崎藤村(詩人、小説家)
誰かの言うまま、導かれるまま
ただ、誰かについていくという生き方もある。
また、自ら進むという生き方もある。
どんな生き方をしていきたいですか?
<楽な生き方?>
自分の意思を示さずに、
心に染まないことがあっても、
ただ、誰かについていく
という生き方も存在している。
自ら進む生き方をするということは
独立していたり、自由であること。
そのためには、
自ら決め、自ら責任をとっていく必要がある。
それは大変だ、
ただそこにある太陽を追いかけるように
誰かについていくほうが楽
と考える人がいるかもしれない。
ついていく太陽が、
安定して、心地よい状態を提供してくれていれば、
それもひとつの選択。
<太陽は自分の中にも>
ただ、太陽は、自分の外に見つけることもできるが、
自分自身のなかに、太陽を掲げることもできる。
このことを忘れて、
太陽は今見つけているものだけだ。
と考えていると、
その太陽の気まぐれで、
あなたは振り回され、翻弄されてしまっても、
ただそれを受け入れるほかはない。
誰かについていくとしても、
自分が、みずから積極的な意思をもってそれを
今、選択しているだけだ、
ということに気づいておきたい。
<自分の太陽を輝かせる>
そして、ときには自分の中にある太陽を輝かせ、
自ら考え、行動し、感じる時間や機会を持つようにしておきたい。
ついていくだけが当たり前になっていると、
自らの考えるチカラを、行動するチカラを、感覚を、
鈍らせてしまったりする。
自分自身の太陽があれば、
周りが暗く、闇に沈んでいても
あなたが明かりをもたらすことができる。
自分の足元はもちろん、
周りを照らすこともできる。
<全ては自分の選択>
外に見つけられる太陽を頼ることも
自分のなかに太陽を掲げることも、自分の選択。
しかも、常にどちらか一方だけというわけではなく、
時と場合に応じて選択することができる。
ただ、自分の太陽を、望んだときに
輝かせることができるようには
しておきたいもの。
肝心なときに、輝かせ方が思い出せないのではもったいない。
自分が望む人生のために。