気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の主張や、持論があることは大切なことであるが、
新たな気づきや、学びを得ようとする場合には
邪魔になったりするという。
今日は、持論とどのようにして付き合っていくかについて考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/9326/
この記事の目次
「持論を持てば持つほど、ものが見えなくなる」
byヴィム・ヴェンダース(独の映画監督)
誰にも、自分の言いたいこと、考え方があるもの。
国際社会では自分の意見を持ち、主張することを求められたりする。
自分の意見を持つことは大切だけれど、、
持論に囚われるあまりに、冷静さを欠いて
持論に都合の良い捉え方だけをしてしまうことがある。
では、どのようにしていけば良いのだろうか?
<持論の形成>
私たちは、経験したこと、考えたことをもとに、
自分なりに役に立つパターンをつくりあげるのが得意。
つくってみて、それが別の機会に役に立てばなおさら
そのパターンは強化されていく。
パターン化しておけば、
脳は楽ができるという、大きなメリットがある。
注意深くひとつひとつ確かめなくても、
チェックポイントに合致したら判断できるのだから。
脳はさらにパターンを組み合わせて、より複雑な処理を
簡単に済ませようとしたりする。
このようにして、無意識の内にも信念や大切にする価値観が作られ
意識の中で持論が形成されていく。
<持論を変化させるには>
一度立てた持論を変更するためには、
いまの持論に気がついていて、いまのままでは、
明らかな不都合があって、不快な経験をするとわかれば速い。
しかし、人は自分の間違いに気づくより、
正しさを確認する方が好き。
この人が私にウソをつくはずがないと思っていると、
明らかな証拠があっても、
「いやいや、きっと何か理由があるはずだ」と考えやすい。
いくら説得しようとしても、頑としてわかってくれない人に
悩まされる経験をしたことがあるかもしれない。
もちろん、この頑なに信じる心というものは、素晴らしい面も持ってる。
ただ、何か新しいことを学んだり、身に付けようとするときには、
自分がすでに持っている思い込みや持論が、邪魔をしたりすることは知っておきたい。
<無知の知>
無知の知という言葉があるように、
自分は知っていると思っていることに対しても、
初めてであったものとして、知っているという人に尋ねてみる。
すると、あなたとは違った視点であったり、
切り口からの説明があったりする。
たとえ、「え、そんなはずないじゃない!」
と思ったとしても、否定するのは手放して、
「どうしてそう考えるのか?」とか「こんなケースはどうなるの?」
と聞くことができたら、新しい世界を体験することができる。
脳は、「そんなのおかしい」
と思った瞬間に、その情報を取り入れるのをやめてしまう。
もしかしたら、これまでの枠を打ち破るチャンスだったかもしれないのに。
<賢い選択>
だから、人の話を聞くときは、
まずは正しい/間違っているとか、
良い/悪いといった判断は横に置いおいて、
まずは、情報収集をたっぷりしていきたい。
他の人から学べることはいっぱいある。
そしてあとから、活かせるものを活かし、
不要だと思われるものは捨てていけばいい。