気づきの伝道師 藤井一規です。
長寿の人が多数となっている時代。
長く生きるだけでいいのだろうか?
今日は、望ましい人生について考えてみる。
<ブログ>
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この記事の目次
「何歳まで生きたかは重要ではない。いかにして生きたかが重要だ」
byエイブラハム・リンカーン(米国の第16代大統領)
長寿でいられるということは、豊かな社会の証明のひとつ。
それだけ、幸せを感じられる機会も多くなる。
しかし、長く生きさえすればよい、というものでもないようだ。
どんな人生が望ましいか、考えていく。
<寿命>
なんとなく、平均寿命までは生きるのではないか?
そんな風に思っている人は多いかもしれない。
しかし、実際のところは、
何歳で命を全うすることになるのかは、
ひとりひとり違う。
私の周りでも、
学生のうちに亡くなってしまった人もいる。
あれほど元気だったはずが、ある日倒れてしまった人もいる。
長寿を堪能している人もいる。
本当に人それぞれ。
<いつ死ぬかを知っていたら>
もし、自分の寿命がいつまでと、
予め判っているとしたら、
時間の使い方はどう変わるだろう?
どうも、どれくらい先が寿命なのかで、
差が出てくるようだ。
人は、未来に得られる価値とすぐに得られる価値とを比べると、
同じ価値だとしても、目の前の価値のほうを優先するという。
まだまだ生きられると思っている、死が実感できないと、
将来に向けた種まきよりも、目の前の利益の方に目が奪われやすい。
のんびり休む、先に延ばしても問題ないと考えやすい。
もうすぐそこに寿命がくるとわかっていたら、
生きている時間を1分でも、1秒でも無駄にせず、
満足できるようにしていきたくなる。
<求める人生は>
もちろん、ただ単に、長生きするだけの人生というのもあり。
しかし、死を意識してみると、
目の前の当たり前にあると思っていた時間が、
当たり前ではないことに気がつく。
今、この時間をどのように使うかは、自分で決められる。
人生をいつ終えることになるかわからなくても、
いつ終えても大丈夫なように生きられたら、
人生の価値を高めることができる。
何をしたらいいか、探し続けるのもいいけれど、
何もしないままになるよりは、
何かに全力で取り組んでみたい。
時間は容赦なく過ぎていく。
今、この時をどう使うか。
今一度考えなおしてみてもいいかもしれない。