気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の未来は、過去に縛られていると考えがちなもの。
しかし、それは本当だろうか?
今日は、未来はどのようにつくられていくのか、について考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定している」
byアルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医、心理学者)
私たちは、これまでのことがあったから、今の自分がある。
今の自分を、過去のことから解説することもできるかもしれない。
しかし、未来はどうだろう?
今までの延長線上だけが可能性なのだろうか?
<過去は今を説明するのに役立つが>
今の状態を説明するのに、過去の事実は役に立つ。
こんな経験があったら、
あんな出来事があったから。
特に自分の不幸を説明しようとすると
思いつくことはいっぱい出てくる。
たしかに、なるほどと思える説明をつけることはできる。
しかし、その説明をつけて、だから今の不幸は当たり前で、
私はそれに縛られ続けていると思っているのだとしたら、
考え直した方が良いかもしれない。
<未来は過去の延長ではない>
未来は、確定してはいない。
ということは、これから自由に創り出していくことができるはず。
しかしながら、自由というやつは不安も伴う。
何も決まっていない中で、自分で決めていかなければならないから。
だからつい、過去からの延長線上に未来があると思いがちになる。
そう思ってしまうと、そこから逃れることは、
自分の思い込みの間違いを指摘することになる。
人は自分が正しいと思っていることに合せてしまうもので、
自ら未来に制限をかけてしまう。
<もし、何でも叶うとしたら?>
ひととき、
あなたの欲しいものが何でも与えられ、
望むことが何でも叶うとしたら、
どんな未来になっていくか、想像してみる。
「何でも叶うとしたら、何を叶えたい?」
どんな素晴らしい日常が手に入り、
どんな自分になっていくことだろう!
今想像できたことは、実現する可能性があることのひとつ。
可能性があるからこそ、想像できる。
初めからできないって、自分から制限する必要なんてない。
<自分が決める>
起きたことは事実としてあるとしても、
次の瞬間には、それは過去のものになる。
過去には今を創るチカラはない。
ただ、あなたが過去を今にも存在させようとすれば、
今にもあることになり、それにひきづられてしまう。
過去を嫌なもの、自分を制限するものとして生かし続けておくか、
未来をより良くするための糧としたり、自分の博物館にしまっておくかは
自分で決めることができる。
どうせなら、未来の可能性を信じていきたいもの。