気づきの伝道師 藤井一規です。
人の中には、天使のような部分と獣のような部分がある。
そのギャップに苦しんだりするひともいる。
今日は、自分の中にいる天使と獣との付き合い方について考えていく。
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この記事の目次
「人間は天使でもなければ獣でもない。しかし不幸なことには、人間は天使のように行動しようと欲しながらも獣のように行動してしまう」
byブレーズ・パスカル(仏の哲学者・数学者・物理学者)
天使であろうとするが、自分の獣性がどうしても現れる。
それが気になってしまうってことがあるかもしれない。
どのようにしていけばよいだろうか?
<天使か?獣か?>
人は天使なのだろうか?獣なのだろうか?
天使のような人に出会うことがある。
こんな素晴らしい、素敵な人がいるのか!
そう思うことがある。
かと思えば、獣のような人もいる。
欲望丸出しで、周りを呆れさせていたりする。
しかし、獣そのものなんじゃないか?と思っていた人が、
思わぬ優しさや、心の広さを見せることがある。
そんな面だけに触れた人がいたら、
その人にとっては、天使のような人だ、と捉えたかもしれない。
<天使たろうとすれば>
たしかに、自分の中にも天使の部分と、獣の部分と、
両方が存在しているように感じられる。
天使に思えた人の中にも、獣の部分があると考えたほうが自然だ。
天使か?獣か? の二者択一ではなく、
だれもが、その両方を持ちあわせている。
そのことを忘れて、天使たろうとすると、獣の部分が気になってしまう。
自分はどうしてこんなに醜いのだろう?と苦しんだりする。
あいつは、どうしてこんなにひどいのだろう?
と怒りをもってしまうかもしれない。
もともと両方があるもので、たまたまどちらかの面が
目の前に表れているのだと、知っておきたい。
<振れ幅があるから>
たしかに、この天使と獣、どちらが現れるかでは、
ものすごい違いが生まれてくる。
しかし、その違いを知っているからこそ、
天使性が現れた人と出会ったときに、
感動したり、喜びを感じられるのではないか?
獣性を抱えているからこそ、
ありがたさがわかるのではないか?
そしてきっと、あなたも誰かに
ありがたさをもたらしているに違いない。
<どちらも大切>
天使の部分も素敵。
そして獣の部分も、自分の一部。
どちらもが愛すべき自分をつくっているもの。
そのことに気づいて、どちらとも大切にしていきたい。