気づきの伝道師 藤井一規です。
今日は、独創性ってどんなものか
ということについて考えてみたい。
http://shitsumon-alacarte.com/mental/7305/
この記事の目次
「独創性とは、今まで誰一人として言わなかったことを言うことではなく、まさしく自分の頭で考えたことを言うことなのだ」
byジェイムズ・スティーヴンズ (アイルランドの作家)
独創性は大切にされる。
誰かのモノマネだと、なんだ・・・と思われ、
独創的だ!とされると、評価がグッとあがったりする。
特許という制度が存在し、
新たな発想は保護されるようになっていたりする。
しかし、本当に過去や、周りの影響を受けずに、
独創的なものを作り上げることって
できるものなのだろうか?
特許もその多くは、
他の分野での考え方を別の分野に持ち込んだり、
既にあるものの組み合わせだったりする。
自然に存在するものからの学びだったり、
既にあるものに、一工夫、二工夫したものだったりする。
かの文豪ゲーテは「独創など、ない」としている。
先達たちの影響を受けずにつくりあげたものなどない。
独創性を有り難い、とするばかりに、
過去の偉大な遺産を軽々しく扱ってしまう考え方をいさめている。
独創的であることばかりを重んじて、
基本的なことをないがしろにしてしまっては、
やはり受け入れられないものになってしまったりする。
私たちは、過去からの、周りからの、
なんらかの影響を受けている。
それは、否定しようのない事実。
では、自分だけのモノってないのだろうか?
例えば、同時に、何人かと同じ場面にいて、同じ体験をしたとする。
そしてそれが、どんな体験で、そこからの気づき、学び、発見を
詳しく話してもらうと、
もちろん、同じような言葉が登場することはあるけれど、
詳しく聞けば聞くほど、人によって、答えが違うことに気がつく。
ときには、正反対の受け留めをしていたりする。
そう、全く同じ受け留めをする人間は、一人としていない。
自分という主観的体験は、自分にしかできないもの。
たとえ、同じ言葉を使っていても、あなたの体験からきたものは、
あなたならではのもの。
その意味で、自分で考えたことは、
あなただけのものということになる。
それを世の人が独創的と呼ぶかどうかは、別の話だけれど、
あなたならではの財産をもっておくことは、大切なこと。
言い古され、使い古された言葉であっても、
あなたの体験を通して伝えようとすれば、
あなたの言葉になっていく。
【独創性とは、自分なりに考えたことから生まれる】