日々子どもと接していると、怒りを感じることがあります。
「なんで?」
「どうして?」
子どもの行動や言葉。
イライラして、怒りのままに叱ってしまうことはないでしょうか。
この記事の目次
映画『君の名は。』がポニョを抜いたんだって。
映画『君の名は。』がすごいらしい。
2016年10月24日に東宝から発表されたニュース。
興行収入が164億円を超えたそう。
これは、宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』を超えて、邦画は歴代興行収入で5位に入っているんだとか。
教室で生徒たちに「観に行った人〜?」と尋ねたら、ほとんどの子が手を挙げたのね。
思春期の恋愛を描いたアニメ映画ということで10代、20代の若者を中心に、ヒットしているそうなのです。
アラフォーの僕は観ていないのですが。
「父ちゃん、映画を観に行きたいんだけど…」
先日、小6になる長男くんが友人と映画『君の名は。』を観に行くと言いました。
ところが、彼には手持ちの軍資金がありません。
映画の鑑賞料はお小遣いで捻出したんです。
けれど、映画ってお金がけっこうかかります。
行き帰りの交通費だとか昼食だとか飲み物だとか。
映画館というのは、たくさんのキャッシュポイントが用意されていますから。
親としても「お金」の面で、我が子に恥ずかしい思いをさせたくないという思いがあります。
じゃあ「はい、どうぞ!」とお小遣いを湯水のように渡していくのもいかがなものかと。
はい!
親はいつも親として試されます。
思案の末、労働の対価としてお小遣いを渡すことにしました。
「あと1000円あれば…」
彼はトイレ掃除をして軍資金を手に入れました。
こうして彼は、映画『君の名は。』を観に行くことができたのでした。
ところが…。
映画『君の名は。』が観れない!
映画から帰宅してきた長男くん。
「映画、おもしろかったか?」
「うん…」
なんだか様子がおかしい。
(友だちと何かあったのかな?)
親としては半人前の僕は、ついつい先回りしてしまいます。
「ふーん…。どんな映画だったの?」
「あのね、映画、観れなかった」
「へーっ…、せっかく行ったのに?」
「うん…」
聞けば、映画『君の名は。』を友だち同士で並びの席で観ようと思ったんだそうです。
でも、昼間はすべての上映回が満席。
夜の回しか空いてなかった。
それで彼らは映画を観ずに帰ってきたんだそうな。
「そうか…。そんなに人気なんだ。また、今度行っといでよ」
「うん…」
「ん?どーした?」
やはり様子がおかしい。
それで彼は恐る恐る口を開きました。
「お金がもうないから行けない…」
子どもの言葉に怒りをぶつけてしまった僕
「お金がないからもう行けない」
その言葉に僕の心は泡立ちました。
心拍数が上がります。
「どういうこと?」
「全部、遣っちゃった…」
「何に?」
「ゲーム…」
「ゲームって、ゲームセンターの?」
コクリとうなづく長男くん。
「あげたお金、全部?」
また、うなづく長男くん。
その姿を見て、僕の中で怒りがこみ上げてきました。
「お前なぁ!なんのためにお金を渡したと思ってるんだ!映画に行くためだろ!」
そう怒鳴った瞬間、急速に冷めていく自分がいました。
それはなぜでしょうか。
しつもんで自分と向き合う
僕が手渡したお金。
それは労働の対価として渡したお金です。
手渡した時点でこの子のお金。
どう遣うかは、この子の問題。
それにきっと…
友だちがゲームセンターで遊んでいて、自分の財布の中にお金があれば、僕だって遣ってしまう。
きっと遣ってしまう。
じゃあ、僕は何に反応したのだろうか。
僕は自分の感情と向き合いました。
しつもん1
怒りを感じているあなたが大切にしたかったことは何ですか?
子どもを信じてお金を渡した。
それを踏みにじられた?
うん、ちょっと違う。
「信じてたのに」なんてのも、僕のエゴ。
裏切られた感はあったな。
たしかにあった。
でもね、それを感じているのは僕の方で。
それはエゴ。
ゲームセンターという場所。
小学生が行くべきではない場所。
出たな!
「べき」
「こうあるべき」が出てきたぞ!
さあ、もっと自分に問いかけよう。
たとえば、お金の使い道が他のことだったらどうだったでしょうか?
代わりに『君の名は。』の小説を買ってきた、とか。
勉強になる本を買ってきた、とか。
たぶん、僕は怒らなかった。
「全額、熊本の震災に募金をしてきた」
むしろ褒めていたかもしれない。
そうか、使い道の問題だったのかもしれない。
そう、僕は使い方がゲーセンだったことに反応したのです。
カラオケだったら?
カフェだったら?
雑貨だったら?
文具だったら?
僕の反応はきっと違ったでしょう。
それは、全部僕の中で起こった出来事でした。
僕がお小遣いを与えたいと感じた。
僕が勝手に裏切られたと感じた。
僕が反応して怒りをぶつけてしまった。
「子どものため」とか言いながら。
全部、僕のためだった。
でもね、自分の心は満たされてないんだよ。
感じた怒りをぶつけて満たされないんだ。
そんな自分の至らなさに気づいたとき、怒りがスーッと引いていくのがわかりました。
しつもん2
その気持ちを選んでいるのはだれですか?
「叱る」と「怒る」は違います。
怒りの感情が込み上げてきたとき、その感情をぶつけてしまうと、それは「怒る」になります。
「叱る」ということも大切なことですね。
「叱らない子育て」を実践されているお母さんが言っていました。
「叱らないのって苦しいのですが…」
「こうでなければならない」は苦しいですよ。
もっと感じたままに。
すべてはあるがままに。
叱りたくなったなら、それは叱ればいいのです。
でもね、案外「怒り」をぶつけているだけのことが多い。
そのことに向き合う必要があるでしょう。
そうそう。
これは子どもの問題ではなく、大人の問題なのです。
だからこそ、ふと立ち止まって自分自身の感情と向き合ってみる。
そういうことが必要なのだと思います。
『魔法の質問』は、そんな自分自身と向き合うためのツールです。
怒りの感情がふつふつと顔を出したら、その感情に尋ねてあげてください。
君の名は?
しつもん3
子どもとの関係性を整えるためにできることは何ですか?
魔法の質問
- 怒りを感じているあなたが大切にしたかったことは何ですか?
- その気持ちを選んでいるのはだれですか?
- 子どもとの関係性を整えるためにできることは何ですか?