もしも我が子が「学校に行きたくない」と言ったら
思春期の子どもの専門家の榑林(くればやし)です。しつもんアラカルトには、思春期のお子さんをもつお母さんに向けて書いていきます。
テーマはズバリ、『もしも我が子が「学校に行きたくない」と言ったら』
心無い教師との出会い
中学校の先生になって、16年目を迎えました。
僕が「学校の先生」を志した理由。
それはちょっと変わっています。
まずは自己紹介も兼ねて、そこから始めさせてください。
平成のはじまりは、まだまだ体罰全盛の時代でした。
先生のすることは無条件で正しい。
そんな時代でした。
子どものころ、先生から殴られてばかりいました。
でも、そんなこと親には言えません。
殴られる方が悪い!
そんな時代でしたから。
小学4年生のとき、学級崩壊をしました。
担任の先生は、いつも脂でギトギトの髪をし、フケが浮いています。
「気持ち悪いな」
僕らは思いました。
そして、毎日のように、心ない言葉をぶつけてきます。
反抗すれば殴られます。
何人かの級友は学校を休むようになり、いつからか友だちのお父さんやお母さんが入れ替わり立ち替わり授業参観に来るようになりました。
そんなクラスの学級委員だった僕は、特に目の敵のように攻撃されました。
ある日のこと。
「お前みたいなヤツが学級委員だから、こんなクラスなんだ」
そう罵られた僕は、おもむろに学級委員バッチを名札から取り外すと、先生に目がけて投げつけました。
「辞めたるわっ!」
学級委員辞任!
それを機に、教師たちから明らかに問題児扱いをされていくことになりました。
「これは見せしめだな…」
そう思うような理不尽な体罰が続きました。
それは体罰ではなく暴力です。
小6になって、僕は児童会長になりました。
ある日のこと、朝の全校集会で児童会からのお知らせをすることになりました。
朝、児童会役員全員で集会の係の先生に申し出ました。
「今日は児童会からお知らせがあります」
すると、先生はこう言います。
「そんなことは聞いてないからできません」
「そんなはずはないです」と食いさがったのだけれど、認めてもらえません。
僕らは仕方がなく自分の列に並びました。
児童会の仲間も不満な表情を浮かべていました。
ところがです。
集会が始まると、児童会顧問の先生が声を荒げて僕のことを呼ぶのです。
「なにやってるんだ!役員としての自覚はあるのか!」
そんなふうに怒鳴るのです。
(ふざけるなよ…)と思いました。
あまりにも理不尽です。
僕は黙ったまま立っていました。
すると、先生は鬼の形相でやってくるなり、腕をつかんで引きずっていきました。
渋々、マイクの前に立つと、不貞腐れた表情で伝えるべきことを伝えました。
降壇するなり、「集会の後、お前は残れ」とだれにも聞こえないような声で言うのです。
残されたのは僕だけでした。
(また殴られるんだろうなぁ…)と思いました。
運動場にたった一人。
小学生にとって、どれほど心細かったことでしょう。
小さな体の小学生を、大きな体をした大人は容赦しませんでした。
僕の頬を、平手打ちしました。
痛みにこらえると、さらに2発目が飛んできました。
でも、僕がショックだったのは体罰などではありません。
次の言葉に僕は耳を疑いました。
「俺に恥をかかせやがって!」
彼はハッキリとした口調でこう言い放ったのです。
もはや指導でもなんでもありません。
恥をかかされたから殴ったのです。
体罰ではなかったのです。
これは、完全なる暴力です。
こんな人が先生をやっている。
こんな人でも先生がやれる。
おかしいよ、絶対。
そりゃ学校に行きたくないって子がいても不思議ではありません。
このブログで伝えたいこと
学校は楽しい場所なんです。
本来は、そうなんです。
でもね、学校で辛い思いをしている子もいます。
もしも我が子が「学校に行きたくない」と言ったら、どうされますか?
このブログでお届けするのは、そんな内容です。
僕にとって、学校の先生とは「恐怖そのもの」でした。
「学校に行きたくない」と口にする勇気すらない子どもでした。
敵にしか見えない先生たちと戦い続ける。
「学校は楽しい場所なのに、この人たちは学校をつまらなくしている」
そう考えていました。
やがて、その想いは「学校を子どもたちにとってハッピーな場所にしたい」という志に変わりました。
それが、「学校の先生」を職業にした理由です。
僕は今、彼らに感謝をしています。
こういう先生たちに出会えたから、今の僕があるのです。
愛のある先生になれたのは、彼らのおかげです。
この出会いがあったからこそ、僕は「学校の先生」を志すことになりました。
すべての出会いには、意味があります。
あなたがこのブログに出会ったことにも、きっと意味がある。
僕はそう信じています。
魔法の質問
この出会いから学べることは何ですか?