子どもたちの行動をジャッジしてしまいます。
子どもの行動をコントロールしようとしてしまいます。
だから、苦しくなるのです。
子どもは親を乗り越える
小学生ぐらいまではでいいのです。
ジャッジしたってね、コントロールしたってね、力づくのやり方でも何とかなってしまうのです。
お父さんお母さんの方が身体も大きいですし。
子どもたち、ちゃんと親の言うことを聞くでしょう。
ところが、そのようなコントロールは思春期を迎えると確実に崩壊します。
子どもって親を乗り越えるのです。
まあ、本当は乗り越えさせてあげるのがいいんだけどね。
ある年、入学してきた男の子。
いつも斜に構えてて、なかなか素直に自分を表現できない子でした。
そういう子は勘違いされやすい子なんですね。
一見すると、いわゆる「悪い子」に見られやすい子。
反抗的に受け取られやすい子なのですね。
きっと小学校時代から、いろいろとあったのでしょう。
学校の先生に対する嫌悪感。
お母さんってば、そんなオーラをムンムン漂わせているんです。
「先生いろいろ言いたいこともあるかもしれないけど、あの子は私の言うことしか聞きませんから」
そんなことをお母さんは言うのですね。
入学式で、ですよ。
(なんだか大変だな…)って思いました。
家庭訪問でも保護者会でも強気です。
普通の会話がしたいのに攻撃的な口調なのです。
よほどこれまで学校との間に確執があったのでしょうね。
ところが、2学期も終わりにさしかかったころ、急変するのです。
お母さんが何を言っても、言うことを聞かなくなってしまったのです。
(やがてお母さんを乗り越えるだろう)とは思っていたけれど、案外早く訪れたなぁというのが印象でした。
彼ね、部屋から出てこなくなってしまいました。
これまで頭ごなしに怒鳴っていれば言うことを聞いていたのに、心を閉ざしてしまったのですね。
彼はお母さんと口を開かなくなっちゃった。
お母さんにとって苦しかったのは、「コントロールする」という方法以外の術をもっていなかったことでした。
こんなとき、ヒステリックに反応してしまうお母さんは多い。
でもね、このお母さんはちょっと違った。
子どもと関わることを止めてしまったんです。
興味を失ったという表現の方が近いかもしれません。
「私が言ったって聞かないから、先生なんとかしてください」
お母さんの中の何かが弾けてしまったようでした。
「指導しない」という指導法
それから、僕は暇を見つけては彼の部屋に行きました。
「どうぞ勝手にやってください」
というお母さんの言葉に甘えて、自由気ままに家庭訪問をしていました。
だけど、何にも言いません。
ただ部屋に行き、大量に並んだ漫画本を読んで帰る。
そんな家庭訪問です。
そのうちに彼の方から口を開きました。
「先生、何しに来てるの?」
「んっ?漫画読みに」
「あのさ…」
「何?」
「学校行こうかな」
「行きたきゃ行けばいいんじゃないの?」
その日、彼の不登校は終わりました。
そして、その日を境にお母さんは頼りにしてくださるようになったのです。
あたかも僕の指導の賜物であったかのように、そのお母さんには映ったことでしょう。
ですが、そうではないのです。
僕は何も指導などしていないのです。
だって、部屋で漫画を読んでただけなんだもん。
では、なぜ彼は不登校を抜け出したのでしょうか。
その答えはわかりません。
わからなくてもいいのです。
わかる必要もないのです。
彼は「学校に行かない」という選択をしました。
そしてまた、「学校に行く」という選択を、し直しました。
ただそれだけなんです。
指導が良いとか、指導が悪いとか、そういうことではないのです。
子育てが良いとか、子育てが悪いとか、そういうことでもないのです。
すべては「その子の選択」です。
きっと彼の中で、何か変化があったのでしょう。
そして、選び直した。
ただ、それだけ。
このブログでお伝えしたいこと
子どもをコントロールしようなどとは思わないことです。
他人を変えられると思っていること自体が傲慢です。
子どもたちは自分の内側に、ちゃんと成長する種をもって生まれてきています。
土を耕し、水をやり、お日さまに当ててあげれば、すくすくと育っていきます。
その子の育ちたい方向に育っていきます。
添え木をして無理やりまっすぐにする必要はありません。
無駄にハサミを入れる必要も、余分な肥料や農薬を与える必要もありません。
子どもたちに、そういうことは不要なのです。
思春期の子どもたちは、決して反抗などしていないのですよ。
自我が育ってきているにも関わらず、干渉しようとしてくる。
そんな大人に対してアレルギー反応みたいなものなんだな。
児童精神科医の佐々木正美先生は「過保護でもいいけれど、過干渉はよくない」とおっしゃられていました。
干渉すればするほど、子どもたちは心を閉ざしてしまうでしょう。
そのことの方が「学校に行かないこと」よりも辛いことです。
だからね、子どもの選択を応援してあげることです。
「学校に行く」という選択。
「学校に行かない」という選択。
どちらも素敵な、この子の選択なんです。
魔法の質問
コントロールする代わりに、できることは何だろう?