思春期の子どもたちの専門家、くればやしひろあきです。
「愛」ってどんな意味ですか?
そう尋ねられたら、ちょっと戸惑ってしまいます。
でも僕らは「愛」の意味を体感的に知っています。
だから、愛することができるのです。
「愛」の意味がわかる、そんな「愛の人」を育てたいと思います。
入学式にあの子がいない
ある男の子の物語です。
『入学式』
それはだれにとっても清々しい新たなスタートの日です。
しかし、その場にいることのできない子がいました。
教室には真新しい制服に身を包んだ新入生たち。
後ろにはズラリと並ぶお父さんお母さん。
色とりどりの装飾が施された教室。
黒板には「入学おめでとう」の文字。
そして、ポツリと空いた席がひとつ。
その日の午後、担任の先生はその子の自宅を訪ねました。
インターフォンのない扉。
先生はなんとなく嫌な予感がしながら、ノックをしました。
ガチャリと鍵の開く音がして、扉は静かに開きました。
薄暗い部屋から一人の男の子が顔を出しました。
聞けば、
「お母さんはずっと帰ってこない」と。
いつからいないのか尋ねてもハッキリしません。
どうやら1ヶ月ほど一人で過ごしてきたようなのです。
お金はもっていませんでした。
食事はどうしていたのか、さらに尋ねました。
近所の仲間が差し入れてくれたものを食べてきたようなのです。
なぜ、そのような状態で保護されなかったのでしょうか。
実は、彼は外国籍の子どもだったのです。
ですから、そういった外国人のコミュニティーが助けてくれていたようなのです。
「制服がないから学校には行けない」と言います。
先生たちは、すぐに卒業生に連絡を取り、制服を探しました。
卒業生から届いた学生服。
彼はそれに袖を通すと、翌日から1日遅れの学校生活が始まりました。
さらに、さまざまな働きかけにより、児童養護施設に入ることもできました。
母国語をもたない子ども
日本でずっと暮らしていたのに日本語が上手に話せなかった彼は、先生たちの勧めもあり『日本語教室』に通い始めます。
しかし、その子には大きな問題がありました。
それは大きな大きな問題でした。
彼は母国語をもっていなかったのです。
母親から父親からも声をかけられず過ごしてきました。
言葉のシャワーを浴びてきませんでした。
その生活は、彼から言葉そのものを奪ってしまったのです。
日本では、国籍を問わず、子どもたちは学校に通うことができます。
日本語がまったく話せない子どもも、公立学校は受け入れます。
教室で小学生のお友だち使う、限られた語彙を感覚的に覚えていった。
これが、彼にとって言葉そのものとの出会いでした。
日本語教室の先生はおっしゃいました。
「何語であっても構わないけれど、語学の習得には母国語が必要です。
しかし、彼には母国語がありません。
たとえば『優しい』という言葉を教えたくても、その言葉に当たる母国語をもっていないため、言葉の意味が理解できません」
「悲しい」の意味は、悲しいことが起きたとき、それを「悲しいね」と言ってくれる人がいたから、わかるのです。
「愛」の意味は、愛されたことのない子には、わからないのです。
言葉の本質的な力って
僕らは言葉を通して認識、思考、発信しています。
たとえば、春に桜を愛でる。
でも、「桜」という言葉を知らなければ、あれは「桃色の花の木」です。
んで、「桃色」も「花」も「木」という語彙がなければ、あれは…、なんて認識したら良いのでしょうか。
「きれい」も「美しい」も「感動」もなかったら、「美しい桜」を前に頭の中は空っぽです。
つまりね、僕らは言葉があるから「あれは桜だ」と認識し、「美しいなぁ」って心を震わせ、「キレイだね」って伝えることができるのです。
なにかを食べて「おいしい」と感じるのは、「おいしい」という言葉をもっているからです。
なにかを見て「美しい」と感じるのは、「美しい」という言葉をもっているからです。
僕らは「言葉」で認識し、思考し、発信しています。
これが、言葉のもつ本質的な力であると考えています。
「愛」の意味を届けよう♪
思春期の子どもたち。
親との関係に悩んでいる子はたくさんいます。
親だってそう。
我が子との関係に悩んでいます。
互いにわかり合いたいんだよ、本当は。
「お母さんは叱ってばかり。
私の気持ちなんてちっともわかってくれない」
そんな言葉を聴くたびに、心を痛めます。
親の言葉、親の価値観、親の固定観念。
それらが積み重なって、「この子」の思考をつくっています。
「愛」の意味は愛された経験があるからわかります。
子どもたちに、どんな言葉のシャワーをかけますか?
子どもの認識、思考、発信を支える言葉。
その言葉は、周囲の大人の言葉のシャワーの質で決まるのですね。
「幸せ」の意味は幸せを感じたことがあるからわかります。
子どもの「今」を培っているのは、周囲を取り巻く大人の在り方なのだと思います。
育てたいようには育ちません。
振る舞ったように育ちます。
あるがまま、ありのまま。
この子のこの子らしさを、受け入れ、認め、許し、愛する。
ただ、それだけのことなのです。
心配する必要はありません。
先回りなどしなくたって、この子はちゃんと大人になります。
学校に行かなくたって、有名な学校に行かなくたって、ちゃんと大人になりますよ。
なぜって、この子はこの子であるだけで素晴らしい存在なのですから。
ただ愛するだけでいいのです。
魔法の質問
この子と出会えて幸せを感じた瞬間はどんなときですか?
この子の言葉にはっとさせられたのはどんなときですか?
この子の「大好きなところ」はどこですか?