思春期の子どもの専門家、くればやしひろあきです。
これまで3000人以上の子どもたち、そしてそのお母さんやお父さんたちと接してきました。
子どもを変えたい!という大人は多くいます。
どうしたら、子どもは変わるのでしょうか。
それを選んでいるのはだれですか?
変えられるのは、いつも自分だけです。
それなのに、僕らは自分が感じているものの原因を自分の外側から見つけようとしてしまいます。
「あの人がこうだから」
「この会社がこうだから」
「世の中がこうだから」
そうやって犯人探しをしてしまうのですね。
自分が感じているものの原因を自分の外側に見つけようとすると、苦しくなります。
「この子のせいで、私は大変な思いをしています」
そうおっしゃるお母さんがいました。
合格した我が子に向かって
「こんな学校にしか行けないなんて恥ずかしい」
そうおっしゃったお母さんもいました。
一方。
「この子は宝物です。この子のおかげでたくさんの笑顔に出会えましたから」
そうおっしゃるお母さんもいらっしゃいました。
障がいを抱えて生まれてきた子のお母さんでした。
ありがたいことに、いろんなお母さんに出会うことができました。
いろんな人生に出会うことができました。
僕が毎日お届けしているメールマガジン。
それは、そんなさまざまな思春期の子どもをもつご家庭の1シーンから切り取った、メッセージです。
さて、いろんなお母さんの感じた気持ち。
これは、本当に子どもたちに原因があるのでしょうか。
「大変だ」という気持ち。
「恥ずかしい」という気持ち。
「宝物だ」という気持ち。
しつもん
その気持ちを選んでいるのはだれですか?
「しつもん」は内側。「ぎもん」は外側。
この子がその気持ちにさせているのではありません。
あなたがその気持ちを選んでいるのです。
そのことを知ったとき、子どもへのまなざしは大きく変わります。
この子はね、大変な子なんかじゃないんです。
この子を大変だと感じているあなたがそこにいるだけなのです。
なぜ、私はこの子を大変だと感じているのだろう?
そう、自分に問いかけてみてください。
そこがスタートラインです。
変えられるのは、いつだって自分の在り方だけです。
人間の目は、いつも外側を向いています。
「しつもん」は内側にするもの。
でもね、外側にばかり「ぎもん」をもってしまいます。
「どうして、こんなこともできないの?」
「どうしてこうしてくれないの?」
外側に原因を見つけ、それを変えようとすると苦しくなります。
この子は、この子であるだけで素晴らしい。
この子をどう受け止めるか。
どんな心で受け止めるか。
それを選ぶのはあなたです。
しつもん
何を手放したら、その気持ちも手放せますか?
中学生の進路を決める保護者会
受験を間際に控えた3者面談。
「こんな学校には行かせたくありません」
そうおっしゃるお母さんがいます。
「こんな学校に通うなんて恥ずかしい」
そうおっしゃるお母さんがいます。
なぜ、そこまで学校名にこだわるのでしょうか。
偏差値の高い学校に行けば行くほど、この子は優秀な子になるとお思いでしょうか。
どこの学校に行こうが、この子はこの子です。
入学した学校の名前によって、この子の価値が高まるなどということはありません。
そこには「恐れの選択」が見えるのです。
「いい学校に行かなければならない」
そんな気持ちが感じられて仕方がありません。
「いい学校」の定義なんて曖昧です。
偏差値が高い=いい学校
そう感じている人は、親にも子にも多くいます。
これ、大事なことだから伝えておきますが、偏差値はね、人気に比例します。
偏差値が上がるときは、どんなときか。
公共交通機関が整備されて通いやすくなった。
男子校、女子校が共学になった。
学校名が変わった。
制服が変わった。
新しい校舎が建った。
そんなことで変動するような数字です。
「いい学校」って何なのでしょうか?
でね、そうやって偏差値で学校を選ぶ親子に問いかけるんです。
「この学校、実際に見に行ったことありますか?」
そういうご家庭に限って、自分で足を運び、自分の目で確かめるということをしません。
また、「こんな学校に行かせたくありません」とおっしゃったお母さんにね、同じ質問をしたことがありました。
「この学校、実際に見に行ったことありますか?」
すると、こんな答えが返ってきたのです。
「学校自体はいい学校でしたよ。生徒のみなさんも、とても生き生きとしていて」
「でも…、こんな学校には行かせたくありません」
僕は椅子から転げ落ちそうになりました。
世間の目など気にしなくてもいいのにな。
でもね、きっとそのお母さんには、「世間の目」が大切なんだろうな。
他人がどう思おうが、この子はこの子。
それを認めてあげられるのが、家族だと思うのだけれど。
しつもん
あなたが本当に大切にしたいことは何ですか?
「愛の選択」「恐れの選択」
子どもたちはあの学校がいい、この学校がいいと言います。
親もあの学校がいい、この学校がいいと言います。
それで、必死になって勉強します。
けれど、成績は上がりません。
なぜなら、みんなががんばっているから。
「なぜその学校に行きたいの?」
そう尋ねても、明確に自分の気持ちを言える子も多くありません。
苦し紛れにこんなことを言います。
「この学校は偏差値が高いから。勉強をするために行きます」
けれど、僕は知っています。
多くの子どもたちは勉強が嫌いです。
高校で好きでもない勉強をするために、好きでもない勉強をしている。
それって、とっても苦しくないですか?
ですから、僕の進路指導は「何のために高校に行くのか?」を問いかけるところからスタートします。
でも、その問いかけが届かない子もいます。
いてもいいのだけれど、そういう子はどんどん苦しくなります。
悲壮感を漂わせて勉強している子の実に多いこと。
そんな姿を見ると、僕自身も苦しいのです。
だからね、僕は「がんばらなくていいんだよ」と言います。
「そのままでいいよ。
今の力で行けるところが、ご縁のあった学校だよ。
そこで輝くことが大事だよ。
学校名であなたの価値は決まらないんだから」
そうやって伝えると、ときおり保護者から苦情が来ます。
「先生のせいでウチの子は勉強しなくなった。
もっと偏差値の高い学校に行けると塾の先生に言われたのに。
向上心を失ったじゃないか」
そんなふうに罵られたこともありました。
そのお母さんの言う向上心と僕の考える向上心は別種のものなのでしょう。
「愛の選択」から生まれる向上心。
「恐れの選択」から生まれる向上心。
うん、別種ですね。
しつもん
心地よく生きるために、どんな選択肢がありますか?
この記事でお伝えしたいこと
子どもを変えようとする。
子どもをコントロールしようとする。
子どもを叱りたくなる。
子どもにイライラする。
その気持ちは、子どもへの愛から生まれるのでしょうか。
それね、自分自身への愛から生まれている気がしてならないのです。
自分自身を満たすために、子どもに働きかけているとしたら恐ろしいことです。
この記事では、子どもを変える方法をお届けしています。
それはズバリ、自分の在り方を変えることです。
変えられるのは自分だけですから。
自分の在り方を変えるのです。
すると、子どもたちとの関係性が整ってきます。
子どもは変わったように感じます。
僕のメルマガを読んで実践したら、子どもが変わったというお母さんがたくさんいます。
でもね、それは大きな勘違いです。
子どもは変わっていません。
お母さん自身が変わったのです。
なぜなら、それを感じているのもまたお母さんだからです。
この子はこの子のままなのです。
この子はこの子であるだけで素晴らしい。
どこの高校に入ろうが、この子はこの子です。
この子のありのままを受け入れたとき、子どもは変わるのです。
いや、子どもが変わったように見えるのです。
魔法の質問
- その気持ちを選んでいるのはだれですか?
- 何を手放したら、その気持ちも手放せますか?
- あなたが本当に大切にしたいことは何ですか?
- 心地よく生きるために、どんな選択肢がありますか?