ゲームやスマホが手放せない子どものための魔法の質問
思春期の子どもの専門家、くればやしです。
「ウチの子、ゲームばかりしていて困ります!」
「youtubeばかり見ていて困ります!」
「いつまでだってもLINEばかりしています!」
そんな悩みを抱えているお母さんはいらっしゃいませんか?
どんな家族でありたいですか?
全然話が違いますが、僕ね、ディズニーランドが大好きなんです。
でもね、並ぶんですよね、アトラクション。
子どもたち、ブーブー言いませんか?
「お母さん、まだ〜?」って。
けれど、最近は便利な世の中になりましたね。
並んでいる子どもたち、み〜んなDSやったりスマホでyoutube観たり。
上手に暇を潰しています。
ところが、我が家にはそういうものがないのです。
ですから、雰囲気を楽しむのが精一杯です。
でもね、思うの。
ディズニーランドって、並んでるときもアトラクションなんですよね。
楽しむ工夫がいっぱいされてるわけです。
DSやってる子を見てうらやましそうな顔をしている我が子。
気持ちはわかります。
でもね、「ここまで来て、わざわざDSやらなくてもいいじゃない?」って思うわけです。
そういうご家族の姿を見てね、僕は「ヤダな」って思ったんです。
だから、ニンテンドーDS、買い与えてないの。
僕が働いて稼いだお金。
子どもに遣うのはまったく惜しくないけれど。
僕の心は、そんなことには遣いたくないと叫んでる。
だから、買い与えないんです。
あっ!もちろん、おじいちゃんおばあちゃんにも、それは絶対買い与えないでと伝えています。
しつもん1「どんな家族でありたいですか?」
ニンテンドーDSがないと友だちができない?
でもね、我が子が「DSを買ってほしい」って言うんです。
「DS持ってないの僕だけだから、友だちと遊べない」って言うんです。
親としては、心が揺さぶられますよね。
「DSを買い与えなかったことで、いじめられたらどうしよう?」なんて思ってしまいます。
僕「なあ、ホントにクラスの子、全員持ってるの?」
子「持ってない子もいるけど、仲のいい子はみんな何かゲーム機を持ってるよ
僕「ゲーム機がないと、遊べないの?」
子「だって、借りなきゃいけないもん」
僕「じゃあ、借りたらいいじゃない?」
子「いつも借りてばかりだから…。ゲーム機がないと友だちになれない…」
僕「なあ、ゲーム機があったら友だちで、ゲーム機がなかったら友だちじゃないの?」
子「うん」
僕「本当に?」
子「わからない」
僕「ゲーム機を持ってる子にはいっぱい友だちがいて、ゲーム機を持っていない子には友だちがいない?」
子「そんなことはないけど…」
僕「友だちって何だろうね?」
そんなやりとりがあって数日後、我が子が言うのですね。
「ゲーム機持ってないけど、遊びに行ってきた。行ってみたら、なくても平気だったよ」
その後、友だちが遊びに来てくれたんだけど、わざわざ2台持ってきてくれまして。
2台も持ってることに驚いたけれど…。
中学生ともなると、みんなスマホやらケータイを持っています。
でもね、全員が持ってるわけではないのです。
持っていない子、います。
じゃあ、その子が仲間はずれにされているかというと、そんなことはないのです。
スマホやゲームを持っていないこと、それだけで「いじめらる」なんて子、僕は出会ったことがありません。
「それだけで」、なんてことはないのです。
友だちがいるかいないかは、スマホやケータイの有無とは関係ないのです。
スマホやケータイを持っていたって、友だちのいない子はいます。
公園で集まってゲーム機でゲームをしている子どもたち。
それ、一人でもできるんじゃない?
友だちってなんだろうね?なんて思ってしまうのは、年を重ねた証拠でしょうか。
買い与えるのは簡単だけど。
一歩だけ立ち止まって、自分自身に問いかける。
子育てって、親が親として試される時間の連続ですね。
しつもん2「本当に大切にしたいことは何ですか?」
ケータイやゲームに依存していると感じたら…
「ウチの子、LINEをやってばかりです」
「ウチの子、ゲームをやってばかりです」
でね、学校にこんなお願いをされること、よくあります。
「ちゃんと学校で指導してください!」
お母さん、お困りなんですね。
「買い与えたのは、あなたでしょ?」とは言いません。
学校は粛々と教室で伝えます。
「使い方を考えましょう」
「使いすぎに気をつけましょう」って。
一方で、「家庭のことまで口出しするな」とも言われます。
はい、謝るしかありません。
いろんなご家庭がありますから、仕方がありません。
最近のアプリのゲームはすごいですね。
課金するゲームにランキング形式のゲーム。
ゲームしながらチャットをしたり。
やめられない仕組みがちゃんとあります。
一度始めたらやめられないように作られているんですね。
LINEの会話もそう。
やたらブルブル震えます。
「なんだ?なんだ?」と気になります。
中高生の社会って狭いから。
クローズドな人間関係なんです。
だからでしょうか。
ひとたび会話始まれば、会話から抜け出すのは困難のようですね。
一度始めたらやめられないように作られているんですね。
なにごともそう。
人気のあるものってさ、依存性があるのです。
それでね、一度買い与えてから、家庭内にルールを作るのって、なかなか難しいようなんです。
買い与える前に、よくよく話し合っておく必要があります。
やめられない仕組みがちゃんとあるものを買い与えるのです。
依存しやすいように作られているのです。
そういう物を買い与えるのですから、準備も覚悟も必要ですね。
しつもん3「依存性のあるものを与える準備は整っていますか?」
このブログでお伝えしたいこと
デジタル機器が悪いのではありません。
こういうことを書くと、すぐに禁止にしようという話になってしまいます。
大切なのは、いかに使うか。
デジタル機器に使われてはいませんか?
デジタル機器に生活を管理されてはいませんか?
大切なのは、使う側の在り方なのですね。
「最近の子どもたちは変わった」
よく耳にする言葉です。
それは真実なのでしょうか。
僕は、そうは思いません。
子どもたちは、ずっと子どもたちのままなのです。
変わってしまったのは、子どもたちを取り巻く世界の方なのです。
その世界を創っているのは、だれでしょうか?
人は一度便利なものを手にしたら、それのない暮らしに逆戻りすることは困難です。
デジタルな子育て。
アナログな子育て。
どちらが「正解」で、どちらが「不正解」と申し上げるつもりはありません。
ただね、それを選んでいるのはだれですか?
そこには、責任と覚悟が伴います。
大人の想いとしてはね、
「ルールを決めて、メリハリのある生活を」
なんて願うけれど。
そういうことができる子は多くありません。
だって、大人だって自分を律することは難しいのですから。
デジタルな環境をどう整えていくか。
それは、なんでも与えるということではありませんね。
与えるものと与えないもの。
設けるものと設けないもの。
子どもたちを取り巻く世界を創っているのは、大人の方なのです。
しつもん4「子どもたちを取り巻く世界を、どのように整えますか?」
魔法の質問
どんな家族でありたいですか?
本当に大切にしたいことは何ですか?
依存性のあるものを与える準備は整っていますか?